『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[030]フヨの交易地、会所(カイショ)
第2章 フヨの入り江のソグド商人
第3節 ハンカ湖の会所
[030] ■2話 フヨの交易地、会所
フヨの周辺の国々から集まるさまざまな物産がハンカ湖の西岸にあるカイショと呼ばれる場所で取引されていた。会所は、もとは漢人の言葉だという。ヒダカの海を越えて来たコメも、フヨの都近くで作られる鉄も、同じ会所で取引されている。
もともとはフヨの入り江や息慎の入り江の市での取引が盛んだったのだが、海から来て襲う賊の害があまりにもひどくなったためにさまざまな交易品の商いがハンカ湖に移った。
会所であればフヨの豪族からの手厚い保護が得られる。遠くはあっても、荷や命を奪われるよりはましだと、みなが考えた。いまも息慎の入り江に残るのは、とくに鉄を扱う市だけだった。
そうやって次第に賑わうようになったハンカ湖の会所が常に開かれているのは、以前は初霜が降りるまでだったのだが、このところは氷に閉ざされる冬にも開いている。
フヨ人はもとより、鮮卑や匈奴、息慎とその北のさまざまな部族、漢の北部の燕などの顔貌も言葉も違う商人たちが大勢集まり、会所は一大交易地となっていた。遠く中央アジアから足を延ばしたインド商人の姿を見ることもある。
ハンカ湖の北方を流れるアムール川の水運が使えることもあって、いまでは、はるか西のペルシャからソグド商人もやって来る。
ソグド人の間には十七歳になった男子を旅に出すという慣習があって、大切な取引相手である匈奴の東に広がるフヨがその格好の旅先として選ばれるようになったこともいま会所が栄えている理由の一つだと、そこに出入りする人々は噂している。
その会所には、次の荷の来着を待つ商人たちがすでに大勢集まっていた。これらの商人の目当ては、どうやって伝え聞いたものか、あの舟長カケルがヒダカから運んでくるはずの籾米だった。
ヒダカのコメは、いまや、フヨの王の母親すら心待ちにしていると聞く。それほど質がいいのにカケルは黄金との交換を求めず、フヨの商人にとっては集めやすい、この地で産する鉄でいいと言う。ただ、何分、運び込まれるコメの量は少ない。
このところカケルは、ヒダカからの荷がひどく濡れていない限り、フヨの入り江で荷揚げしたその日のうちにハンカ湖に向かうことにしている。フヨの入り江にはいつだって、十三湊にはない不穏な気配があるとカケルは感じていた。何がどうと口ではうまく表せないのだが、とにかく落ち着かない。
荷を送り出すのが一日延びれば、一日分だけ危うさが増す。慎重なカケルはできればそれを避けたかった。だから、西の海を渡るのに疲れた体を休ませることなく、北を目指す小舟に身を落ち着ける。
フヨに居付いて久しいハヤテもまた、カケルに劣らず慎重な男だった。だから、カケルの不安はよくわかった。
フヨの入り江やハンカ湖では、カケルの荷の貴重さは年ごとに増している。三年前に比べて、カケルの荷は二倍の高値で交換されるようになっていた。
水で濡らさず、かつ、量にごまかしがない。あのヒダカから海を渡って来るというのに、次にと約束した日から三日を越えて遅れたことがない。そのような舟長は当地に稀だった。ヒダカのカケルは、いまや、ハンカ湖の会所では知らぬ者のない信頼の厚い舟長だった。
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