『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[126]器を焼いた日
第5章 モンゴル高原
第9節 季節は巡る
[126] ■7話 器を焼いた日 【BC92年12月初】
前に見つけておいた粘土を持って、薄雪を被った北の疎林の炭窯まで出掛けた。
大量に焼いた木炭はほとんど手付かずで残っている。フヨの柳の里で見た窯を思い出して、穴のように掘った窯を上下二つに分けて、大皿や鉢を一日掛かりで焼いてみた。
強い風が吹く前にと営地に戻る馬上で、その日一日手伝ってくれたエレグゼンが言った。
「ナオト、今日のお前を見ていてわかったことがある。お前の言う通りだ。技は、結局は人に宿るものだ。そうして、それを代々引き継いでいく」
――そうとわかっていても、ものを作る奴隷を重んじ、その命と技をとことん守るというのは、長い時を経て培われた匈奴の伝統と習俗が許さない……。
口にすることができずに、エレグゼンは心のうちでそう思った。
「吾れは、鉄作りも同じではないかと思う。伯父が丁零族を重んじるのはそのためだろう。匈奴の言葉では鉄は二つに区別して呼んでいる。鉄と鋼だ。ボルドは剣や斧、それにいい鏃の材料になる。
鋼がなくては、騎兵の働きは半ば減じてしまう。仲間を早駆けに抜き去ってまで先陣を競い、敵の陣に殺到する我ら匈奴騎兵の勇猛な戦いぶりを支えているのは、黒光りする鋼から作る剣と鏃だ。それは、ここ百年来、変わっていない。
鋼を首尾よく手に入れることができるかどうかが、匈奴を束ねる王である単于が周囲からの信頼を得て、匈奴国としてのまとまりを保っていけるかどうかを決める。吾れはそう考えている。まあ、メナヒム伯父の話をそのまま真似ただけだが」
「……」
――ヨーゼフは、いい鋼を探すのは難しいと言っていた。それにハヤテは、ハンカ湖の会所で鉄と鉄とを換えることがあると言った。あのとき思った通りに、鉄と鋼を換えるのだ。使い途が全く違うから交換する。そのため匈奴では二つをはっきりと分けて、鉄と鋼と呼ぶ……。
匈奴にとって最大の脅威は沙漠の南にある敵国の漢であり、それに対抗するためには鋼を調達しなければならない。そして漢は、それをよく知っている。
漢はそこで、ここ数年来、ちょうどモンゴル諸部族の間の抗争のときと同じように、ハンガイ山脈の北や南で細々と鉄を焼く鉄窯を酒泉や五原から北上して来て馬蹄で蹴散らすということを繰り返してきた。
またあるときは、漢が送った間者が匈奴と境を接する鮮卑の騎兵を抱き込んで道案内させ、東の国境にある大興安嶺山脈の山麓でようやく動きはじめた匈奴の鉄作りの仕組みを根こそぎ潰し、焼いた。
西でも東でも、鉄生産の現場を襲撃した漢の小部隊を匈奴兵は執拗に追い、皆殺しにする。そうではあっても、辛抱を重ねて工人を育て、やっとの思いで取り戻そうとしていた鋼作りの技は、そうした敵の奇襲のたびにほとんど無に帰してしまう。
失敗を重ね、それを修正しながら行う技術の蓄積にはとてつもなく長い年月を要する。しかし、それを奪い去るのは、頸を断つ剣先の一閃で事足りた。
だが、冬から早春にかけて、弓矢を取っての戦さはない。人畜ともに生き延びるのが戦いになる。川が凍り、土が凍るモンゴル高原の寒気の中では、兵士もその家族もそれで精一杯だ。