『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[041]ソグド商人
第2章 フヨの入り江のソグド商人
第7節 ソグド人と交易
[041] ■1話 ソグド商人
ヨーゼフは、昔の話を次の晩も続けた。
「わしらは、広くはソグド人と呼ばれている。商いを行う民というのでソグド商人とも呼ばれる。アッシリア、ペルシャ、カザフ、ジュンガル、モンゴル、シーナ、フヨと続くこの広い大地で、長い間、東西の交易を行ってきた民だ。多くはペルシャ人だ。
お前がこのフヨの入り江に着いた日に話したのだが、あのときはよくわからなかっただろう。ペルシャは古くて広い国で、土地によって少しずつ言葉が違う。ソグド人が話すペルシャ語がソグド語だ」
――そうか、ソグド語はペルシャ語なのか。善知鳥と十三湊は、山一つ越えるだけなのに言葉が違う。それと同じだ。山が間に何十とあったらどうなるのか……。
「この入り江に着いた最初の晩に見せてもらった竹の板に刻んであった文字がそのソグド語ですか?」
「竹の板の文字……? おおっ、ダーリオからの便りか。あれはまた別の言葉だ。そのうちに話す」
「……?」
「ソグド人はサマルカンドという大きな町の周辺に多く集まっている。そこで、その地をソグディアナという。ソグド人の土地という意味だ。バクトリアの北になる。
ソグド商人は何代にも渡って、その時々にソグディアナを支配する王の庇護を受けて交易してきた。昔はペルシャ王、その次はギリシャ人だったが、いまは、なんといっても匈奴だ」
「ヒョンヌ? ヒョンヌはここの北のモンゴル高原にいるのではなかったですか?」
「その通りだ。だが、馬に乗る匈奴の支配する範囲は広い。地を歩く者の見方では捉えきれない。匈奴はソグディアナを直接には支配していないが、その国を通るソグド商人を護る代わりに税を取っている」
ナオトは、よくわからないことは後に回して、馬のことを知りたがった。
「カケルは、馬は速く走ると言っていました」
「そうか……。カケルは確か、しばらく前に羌族のドルジに乗馬を教わったことがあるはずだ」
――羌族のドルジ……。
「馬は本当に速い。わしも昔は馬に乗っていた。そう速くは走れぬが」
ナオトは、馬に乗るとはどんなふうなのだろうと思いを馳せた。
「もう、馬には乗らないのですか?」
「ああ。風が冷たすぎてなぁ。それに、膝が思うようでない。いまではもう、馬にもラクダにも乗ることはない」
「ソグド人は、支配者が変わっても、そのたびに新しい支配者と助け合う関係をどうにか築いて、何百年もの間、交易を続けてきた。いまはそれが、いつも旅にあるソグド商人と広い草原をヒツジを追って移動する匈奴とが互いに支え合うという関係になっている」
「馬がいるから、広い原に住むことができるのですね?」
「そうだな……。広い広いカザフ草原とモンゴルの地は、何百年間も、遊牧の民が馬と武器とで支配してきたのだ。ナオト、お前が言うように馬なしではそうはいかなかっただろうな」
「……」
「ソグド人の見掛けは、目の周りがくぼんでいて、彫りが深く、鼻が高い。背も高い。鬚が濃く、髪は濃い褐色や砂のような色で、巻き毛がある。目はわしのような鳶色だけでなく、ときには灰色や青い目の者も見る。それに、お前のようなヒダカ人に比べれば、日に焼けて赤ら顔だ。
ソグディアナは五百年くらい前にペルシャ王に征服された。国境を接しているバクトリアと同じだ。その頃に文字を使うようになったのも同じだ」
「文字? 五百年も前から……」
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