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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[160]匈奴の中にいる漢人の武将

第6章 北の鉄窯を巡る旅
第11節 沙漠ゴビ

[160] ■2話 匈奴の中にいる漢人の武将
「百年前に冒頓バガトル単于がまとめ上げた匈奴ヒョンヌという国の中には、漢人シーナの武将もいる。もとはハンに仕え、しかしいまでは、モンゴルの武将として何千人もの騎兵を指揮している。知っていたか?」
「いや、知らなかった」
「去年の夏の初め、伯父は左賢王とともに漢を相手の戦いに臨んだ。そのとき、ある漢の将軍が左賢王近くに控えていた。昔から、互いによく知るのだそうだ。
 さすがに、同族相手に戦場に出て戦うことはしない。後ろに控えて戦況を眺めている。しかし観ているだけではなく、我ら匈奴が集団で素早く動けるのをよく知っていて、一歩先に兵を動かすようにそばから一声掛けて促すのだという。それが匈奴のいつものやり方とは違っていて、敵の将軍を大いに惑わせた」
「エレグゼン、お前もその戦場にいたのか?」
「ああ、いた。しかし理由わけがあって吾れも伯父も戦いの場に出ることはなかった」
 その理由については語らず、エレグゼンは続けた。
「我ら匈奴は、挑み掛けて、相手が応じてきたら馬の脚を頼りに素早く退く。そして待ち伏せ、討つ。そういう戦い方をする。
 しかし漢人シーナは違う。戦いを仕掛けてきたらそのまま力で押す。だから、いつも押せるだけの人数を揃えておこうとする。ところが、押し切れないとわかると、列を乱して逃げてしまう。我らはそれを追い、一人ずつ討ち取る。だから匈奴は漢には負けない。キョウ族の騎兵や元の匈奴が混じっていなければな……」
退くとは、逃げるということか?」
「逃げるのではない。さくによってその場から姿を消すのだ」
「ヒダカに戦さはない。みなで寄り集まって殺し合うなど、考えたこともない」
 ナオトは、なぜか黙っていられなくなって言った。それを無視してエレグゼンがなお続けた。
「伯父のメナヒムはその漢人の将軍が左賢王に語るのを側で聞いていた。その中に、お前の国、ヒダカの話があった。そのとき、将軍の口からヒダカびとは戦さをしない人々だと聞いたという。お前とあの林で出会ったのはその戦さから戻ってすぐだ」

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