『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[167]山の端で焼いた鉄
第7章 鉄剣作りに挑む
第2節 山の端の鉄窯
[167] ■2話 山の端で焼いた鉄
前と同じようにして砂鉄を焼いた。今度の鉄窯は前よりもずいぶん大きい。エレグゼンの仲間が何人も、数を増やしたフイゴの扱いを夜通しで手伝ってくれた。
砂鉄を焼いて鉄の塊を作るまではこの山の端でできる。フイゴを、三晩、夜通しで踏むのが少しつらいというだけで、人数さえ揃えば、どちらかというと取り組みやすい。
ただ、このときに使った木炭の量にナオトは心底驚いた。
――こんなに木炭がいるのか? 使い切れないほどと思って積んでおいたはずなのにもうない。この窯で砂鉄を一度焼くのに、マツの木何十本分の木炭を使ったんだろう……?
焼き上がった黒くて重い塊は、冷めるのを待って太綱を掛け、下に敷いた薪の上をみなで力を合わせて窯から引っ張り出して、いまは外に置いてある。
次に、鉄囲炉裏に取り掛かった。川原で大きな平たい石を探し、うまく組み合わせて炉にした。炉の脇には熱を防ぐ土煉瓦の壁を作り、しかし、フイゴと炉心とが離れすぎないようにした。
トゥバのやり方を真似て鋼にしようと打ちはじめてみると、やはり、北の疎林でやったときと同じだった。鉄窯で焼き上げたごつごつとした塊を鋼の棒にまでもっていくのは大変な作業だった。
大きな塊の縁を鎚で欠き割って、それを黄色に輝くまで熱して叩く。すると、すぐに砕けてしまい、小さな欠片しか残らない。そのうちから硬くて大きいものをいくつか選んで再び熱し、一つにまとまらないかと重ねて叩いてみて、どうにか棒のようにした。
――砂鉄を替えても、北の疎林でやったときと同じことだ。これを剣の長さにするにはどれだけの日数が掛かるのだろう……?
そのためには、道具の揃えが十分ではない。鉄を打とうにも、下で受ける台がない。熱した鋼の素を掴む鉄ばさみは大きすぎて扱いにくい。
ナオトには、このやり方を続けていいものかどうか見当がつかなかった。
――崩れた欠片は、そもそも一つにまとまるものなのだろうか?
取りあえず決めなければならないことが二つあった。このうえなお砂鉄を替えて試すべきか。それと、砂鉄を焼くときの火加減をどうするか。
――トゥバで見たのは砂鉄を焼く作業のほんの初めのところだけだ。炉に入れる木炭の量を三日のうちにどう変えていけばいいのかがわからない……。
器に使う粘土は、採るところが二十歩違えば全く違ったものになる。重さが違う。色つやが違う。粘りも違う。貝や魚でも、採る海が違えばわずかにせよその味は違う。
ナオトは、砂鉄も同じだと思った。
鉄の材料にする砂鉄の性質は、採れる土地によってきっと異なる。そこで、鉄窯に運び入れるときにいつも口に含んで違いをみるようにし、竹の板にいつどこで採ってきたかを覚えたてのソグド文字二、三字で刻んだ。「黒く、つやあり」「赤み」などと、色についてもわかるようにした。
それに、長いこと土の器を作ってきて、火加減が出来上がりの良し悪しを決めると知っている。
――砂鉄を焼くとき、フイゴの風を使った火加減と木炭の入れ時をどう決めればいいんだろう……?
みなの力を借りてナオトは砂鉄を焼いた。木炭の量とフイゴの風の強さを自分なりに決めて試しては、トゥバで見た黒い塊とは違うと嘆き、砂鉄を別の川筋のものに替えては、できた塊の違いを比べるということを繰り返した。
結局、砂鉄は三度焼いた。そのうち一度は、砂鉄と木炭の割り合いを大きく変えて、鉄窯の壁が溶けて壊れかけるほど激しく燃やしてみた。そうやって焼き上げた、子供が寝転がったほどの大きさの黒い塊が三本、鉄窯の脇に並べてある。
幾日も掛けてようやく、トーラ川で採った砂鉄を木炭と半々で焼いたものがトゥバで見た鋼の素に最も近いとわかった。それでも、その鋼の素からは、トゥバの的場で手にしてみたような堅い鋼の棒はできなかった。
匈奴兵は、ヒダカ人の奇行をまたもや目にしたと噂した。馬を追って走るだけでなく、砂を食らい、字を書く。それに、まるで占いでもするように、炉の中の炭火をいじくっては、恐ろしいほどに炎を上げたり消したりを繰り返している。
こうした噂話は、しかし、もはやただの侮りではなかった。
ナオトが砂鉄を焼きはじめるとカスが出た。それが次第に鉄窯の周りに溜まっていく。それをケルレン川の下流まで荷車で運んで捨てた。焼いて出るカスを誰彼となく見せるわけにはいかない。湿ると臭うのではなおさらだった。
エレグゼンはそれほど気にはならないようだった。
「いずれ、東のダライ湖に流れ着いてわからなくなる」
このところ、ナオトとエレグゼンと、それに、「戦場よりもきつい」と言いながらも残ってくれているムンクなど仲間数人は、鉄窯近くに建てて衛所にしていたゲルで寝泊まりしている。
トーラ川の砂鉄からよさそうな鉄が焼き上がった日、エレグゼンが「今夜は営地に戻って休もう」と言い、日が暮れる前にみなで夏の牧地に向かった。
牧地を移る日が近い。遠く離れたヒツジの群れを集めておこうとみなが馬で走り回り、どのゲルからも道具をまとめるさまが伝わって来て、大掛かりな移動に備える気配が牧地全体に満ちていた。
道々、ナオトはエレグゼンと話し合って、山の端での砂鉄焼きの作業に一区切り付けることにした。
――冬の牧地に移って落ち着いたら、またはじめればいい。
焚火の周りに集まって、「明日は山の端には行かない」とエレグゼンがみなに告げているところに、ザヤと同じ年頃の娘たちが食事を運びはじめた。いつになくはしゃいだ様子のザヤが笑いながら土鈴を三回、カランカランカラーンと鳴らし、ナオトに馬乳酒の入った鉢を手渡そうと火を跨いできた。
仮りに、トーラ川の砂鉄でいいとして、それを焼くのに一番いい火加減が見つかっても、できた塊から剣を大量に作り続けるようになるまでには五年、十年と掛かるだろう。この一月余り、いろいろと試してみて、ナオトにはそれがはっきりとわかった。
こうして忙しくしている間に、ナオトにとって匈奴の地で二度目の夏が過ぎようとしていた。