『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[180]ニンシャ人、着く
第7章 鉄剣作りに挑む
第6節 イシク親方
[180] ■1話 ニンシャ人、着く
そうこうするうちに一月近くが過ぎ、メナヒムと四騎がトゥバから馬に乗った三人のニンシャ人を伴って冬の牧地に戻ってきた。輜重隊の本隊は遅れて着くという。
三人のニンシャの工人は、一日休んだだけで、持って来た道具類を改めるなどし、早速、後に続く者たちを迎え入れるための準備に取り掛かった。
着いて三日目の朝早く、その三人がメナヒムとともに山の端の鉄窯までやってきた。九家族分のゲルを建てようと、メナヒムの配下が荷車を何台も引いている。
一人の年長の工人が、馬から下りるなり、土を握って指先で確かめていた。
一行は、炭焼き窯と、その横に並べて建てた小屋の中にある四角い鉄窯を覗いた後で、その隣りの少し離れている鉄囲炉裏に移って行った。途中、三本並んだ黒い大きな塊に目を留めた。
メナヒムがイシクと呼ぶ年長の者が、煉瓦の壁の後ろに置いたフイゴを持ち上げて、その先っぽの吹き出し口を興味深げに見ている。
フイゴの握りの反対側に開けた穴に麻紐を巻いた竹筒をきつくねじ込み、その先の吹き出し口に粘土を堅焼きして作った細長い口先が取り付けてある。風に勢いをもたせようと、捏ねた粘土と細い竹ひごとを合わせてナオトが焼いたものだった。割れたときには取り換えられるようになっている。
――なるほど。トゥバでは鉄で作る吹き出し口を粘土で焼いたのか。表面がてかてかとしている。相当の熱で焼いたのだろう……。
寝泊まりしているゲルの方からナオトが歩いてきてみなに挨拶しようとした。すると、フイゴの先を見ていたイシクが尋ねた。
「隣りにある窯はあなたが作ったものですか?」
これまで耳にしたことのない言葉だった。メナヒムが間に立ってソグド語に直す。
「そうです。山の端の鉄窯と呼んでいます。焼いた塊を引き出すときに崩したままになっていますが……。炉の壁と底に敷いた煉瓦は砂鉄を焼くたびに取り換えています。熱で溶けて細ってしまうので」
ナオトがそう応えたのでソグド言葉を話すと気付いたようだ。ときどきメナヒムの方を見ながら、なおも問うた。
「その煉瓦はどこから持ってくるのですか?」
「この先で採った粘土をここで野焼きしました。壁も底も同じ土煉瓦です」
「炉の下は?」
「炉の底のすぐ下には石と砂が敷いてあります。その下はトゥバで聞いてきた通りに人の背丈ほどの深さに掘り、その穴には、水気を吸うようにと木炭と石と砂とを交互に埋めてあります。」
元の聞き慣れない言葉で何とかと口にしながら、イシクは両手でナオトの手を取り、メナヒムに向かって言った。
「メーナ、あの窯は大きさまでわしらのやり方とほぼ同じだ」
その五日後、透き通るような秋の陽ざしの中を、三人の工人の家族と道具を一杯に載せた荷馬車六台がトゥバからの旅を終えて山の端に着いた。メナヒムの八騎が護り、気取られないようにと牧民の移動に合わせてゆっくり来たという。残りの十騎はニンシャの工人の数家族が乗る荷馬車を伴い、後に続くという。
ニンシャ人家族は無事に再会した。住まいは先に着いたイシクたち三人とエレグゼン等匈奴兵の手で土城のすぐ脇にすでに整えてある。
秋が深まるのはまだこれからとはいえ、荷馬車での旅は幼い者にはつらく、よほど寒かったのだろう。一人の娘が中に入るなり「暖かい!」と口にした。
「それを聞いて、みなが手を打って大喜びしていた」
と、後にエレグゼンがナオトに語った。
「ナオト。お前の考えが本当になったな……」
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