『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[136]トゥバの手前で野宿する
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第3節 青い水のフブスグル湖
[136] ■3話 遠征十七日目 トゥバの手前で野宿する
ソヨン山脈の山合いを西に向かって流れる川に沿って進むと広い斜面が現れた。馬を走らせるのにちょうどいい草地になっている。メナヒムにはどこか見覚えのある地形だった。
日暮れまではまだ間があるにもかかわらず、「急ぐこともあるまい」と前後に聞こえるように言って、ここに泊まると決めた。いつものようにバトゥが、後を付けて来る者はないか気配を探ろうと右手の森を上って行った。しかし、すぐに戻ってきて、追う者はおらぬというようにメナヒムに目で合図を送った。
岩がちな長い道のりを来たので馬を少し休ませ、蹄を改めたかった。みな馬を下り、カチャッと音をさせて革の胡帯を解き、裾の長い匈奴の皮衣を脱いで枝に掛けた。久しぶりに浴びる強い日射しが暖かだった。
思い思いに馬の汚れを落とし、世話をはじめた。替えの馬二頭はバフティヤールとナオトがみている。褐色に白い斑が入っている二頭目はとくにナオトに懐いていて、蹄が熱をもっていないか確かめながら洗ってやると、おとなしく次の足を出す。側で待っているシルがそれを見て嫌がっているようだ。
「次は、おまえを洗ってやるから」
と、笑いながら言った。
馬の世話を終えると、それぞれ定められた方角に寝床を構えた。もう横になって鼾をかきはじめた者がいる。
ナオトは枯れた苔と枝葉を集めて火を熾しにかかった。匈奴も丁零も、いつも腰に差している火打ちの小鎌で硬い白い石を何度も打ち、ようやくにして火を得る。しかしナオトは違う。明るい中で初めてじっくりと見る二人のハカス兵は、周りに凹みがある木の板と棒とを器用に使ういつものやり方で瞬く間に火を熾すナオトに感嘆した。
――この男はどこでどうやって育ったのだ……?
ナオトは南の端まで下りて行って川の水を味見し、粘土を焼いた土鍋にすくってきて湯を沸かした。初夏とはいえ、日が落ちてしまえば、開けた土地に北の山から下ろす風は肌寒く、昨晩のように、また湯を飲むのかとからかう者はいない。ナオトが持って来た木の椀二つをみなで回して、ヒダカ人のようにふうふうと吹いて飲んだ。
森の木の陰で風を避ければ、前の晩の湿った土地に比べてここはまだ寝やすかった。ナオトは、そんなことを考えながらすぐに眠りに落ちた。
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