『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[188]イシク親方の鋼で作った小刀
第8章 風雲、急を告げる
第2節 剣作りに挑む
[188] ■1話 イシク親方の鋼で作った小刀 【BC90年2月】
それからの数か月間、ナオトは一人、北の疎林に通って鉄剣作りに励んだ。その間、壁に突き当たるたびにナオトを助けたのはイシク親方とその周りの工人たちが身に付けている技だった。それは、トゥバのニンシャ人と、それ以前にはテュルクの人々が代々伝えてきた、タタールの技と呼ばれる古からの鋼作りの知恵だった。
はじめに、イシク親方のもとから運んだ鋼の素を使って、前にやったのと同じやり方で小刀を作ってみることにした。
—―鋼が違ったら、小刀はできるのだろうか?
前もって作ってあった鋼の小板をテコに重ねて載せて、炭火の真ん中に置いた。黄色に輝くほどに熱した小板を金床の上で叩いて一塊に合わせておいてから、熱しては叩くを繰り返し、弾けたカスを掃き出しながら少しずつ棒のように延ばしていった。
こうして作った平たく短かい二本の棒を、小屋の隅で陽の光を当てながら、イシク親方から借りてきた何本かの鑢という道具で削って刀身にしようとした。
外は肌を刺すような寒さだというのに水を浴びたように汗だくになって、短い鋼の棒を削り、擦って、どうにか形を整えた。一方の端は棒のままで残してある。
――この鉄はやはり前のとは違う。何よりも、この平たい鋼の棒は頼もしいほどに固くしっかりとしている……。
次に、この鋼の棒をトゥバで見つけた緑の石に当てて磨いてみた。少しずつ光ってきた。それならばと炉に戻って、磨いたばかりの鉄棒のうちの一本を炭火に突っ込み、刃を付けようと下半分を小さい鎚で細かく打ってさらに薄くした。まずは片面だけ磨いてみればいいかと、裏側はそのままに、もう一度熱して叩いた。
先っぽを斜めに鏨で落として細くすると小刀のような形になった。落とした角が平たい棒の下側だったために、その後、叩いて切っ先を作るのが大変だった。
――上の側を落とした方がよかったか……?
仕上げた後によく見ると、どうにかカケルにもらったフヨの小刀と同じもののように見える。そこで、炉の近くの文字を刻んだ丸太に突き立ててみた。
「おおっ!」
残る一本も同じようにして作った。
――わずか二日で二本……。前に何日も掛けてやったときには、延ばして平たい棒になったものは一本もない。鋼を替えて、いい道具を使えばこれほどに違う……。
どれほど仕事をこなしても、帰り道の馬の背で、明日はこれをやろうと次の仕事が頭をよぎる。ナオトにはそれが嬉しかった。シルに声を掛けると、気持ちが伝わったのか、頸をこちらに回して「グルルッ」と一声唸った。その背に揺られてナオトは、沈む間際の陽の光を横顔に受けながらゆっくりとゲルに向かった。
翌日、久しぶりに山の端を訪れ、イシク親方に「ここまでやってみました」とその磨いた小刀二本を渡した。受け取るときに親方が「光が少し違う」と小さく呟いた。イシクは寄り合い所を出ていき、しばらくすると戻ってきた。二本とも光るほどに磨かれ、全く別物のようになっていた。イシク親方が自ら研いだという。
だが、この見栄えのいい小刀はどちらも、研いでもらったその日に折れた。
試しに余り革を切ってみると、その切れ味はナオトの小刀とは比べるべくもなく、イシク親方が鎚で強く叩くと真ん中で折れた。それに耐えたもう一本の方は、木に突き刺したまま軽く横に引っ張ると先っぽが欠けて地面に落ち、小刀としては使い物にならないとわかった。
「粘りがない」
イシク親方の呟きに、やはりうまくいかなかったかという顔をしたナオトだが、しかし、気落ちしたというふうでもない。別れを告げてシルに乗ろうとするところに、イシク親方が声を掛けた。
「剣の全体を剣身というが、持ち手である柄を付けるので、剣身の尻の方は平らにせずともよい。細い棒のままで少し長めに残しておくのだ。柄はおそらく木で作る。お前の腰にある小刀と同じだ。だが、小刀と違って剣は両手で握る。小刀も、剣も、磨かずに棒のまま残す尻の長さと形をどうするか考えてみなさい」
と、教えてくれた。
この間は、どうなるものかと知りたくて、イシク親方に教わった折り返しをやらないでみた。そうして作った小刀は形だけのもので、脆くて使いものにならなかった。
――たぶん、カスが鋼の中に広がっていないために硬すぎたのだ。だから折れる。やはり、己の考えにこだわっていてはだめだ。次は、あの木に刻んだ手順の通りに、親方から教わったそのままをやってみよう……。
一晩ゆっくりと寝て、薄い板をいくつも作ることからはじめた。
今度は、親方にもらった鋼の素からてかてかと光る部分を選って小板を何枚も作り、一つに合わせた塊を打って十回折り返した。そうしてできた何本かの鉄の小棒から一本を選んで鑢|《やすり》で削り、小刀の形にして刃を付け、荒く磨いた。
この棒は鎚で叩いても折れなかった。
木の杭に突き刺しておいて引っ張っても、先は欠けない。イシク親方のところに持って行くと、今度はじっくりと見た後に、「研ぎに出すので置いていきなさい」と言った。