『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[141]鉄窯に火を入れる
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第5節 トゥバの鉄窯
[141] ■3話 鉄窯に火を入れる
「これから実際に鉄を焼いて見せる」
と、族長が一同に告げた。ただ、砂鉄が溶け、鉄が焼き上がるまで三日三晩掛かると言う。
「それはありがたい」
メナヒムはそう応じたが、おそらく三日間待つつもりはないだろうとナオトは察した。
先ほどの背の低い工人が、いつもの癖なのか、よもや雨の気配はないかと屋根の端から西の空を見上げて雲行きを確かめ、焚き口に置いた乾いたコケに脇の火床から火を移した。大ぶりのフイゴを合わせて六つ、炉から延びる溝の外側に据え終わった。その前にいる六人が、合図を待って大きな音をさせながら風を送りはじめた。
薪に火が回った頃合いに、炉の上の開いた口から黒い粉を竹筒を使って流し入れた。木炭を砕いた粉のようだ。
それに続いて砂鉄を竹筒から入れ、次に、木炭を砂鉄と同じくらいの量、竹で編んだ籠から流し入れた。族長の話では、同じ嵩の木炭と砂鉄とを交互に、何度かに分けて炉の炭火の中に入れていくという。
――なるほど、木炭と一緒に燃やして砂鉄を溶かすのか……。どれほど熱くなるかはフイゴから送る風で決まる。しかし、初めの木炭はなぜ粉にしてあったのだろう? 炉の底まで火が回るようにか?
若者六人が横に渡した支えの棒に掴まり、また、天井から垂らした太い綱を引っ張って、汗だくになりながら足元のフイゴの板を踏み込んでいる。メナヒムが族長に訊くと、朝から晩まで十数人が交代で踏み、三晩続けて、力いっぱい風を送り続けるのだという。
ナオトは感心して見ていた。
――あの大きさのフイゴが六つ。どれだけの風を送るのだろう……。
炉に木炭を入れる理由はすぐにわかった。とにかく熱くしたいのだ。何しろ、砂や岩を溶かそうというのだから。
いまの今まで、火で岩を溶かすなどと考えたことはなかった。しかし、なるほどそうかと思う。
晴れた日が続いた後に、大きめの器を作ろうとして、木炭を選び、火吹き竹で風を送って炎が高く上がるほどに激しく燃やしてやると、時折り、器の外側がいつもよりもつるりと仕上がることがある。あれは、土の中の何かが溶け出すからだ。溶けて、器をわずかに覆うのだ。
――ならば、土を全部溶かしてしまったらどうなるのか。いやいや、これまでそんなふうに考えたことはなかった……。
炉の上の口から炎が勢いよく上がりはじめると、砂鉄と木炭をわずかに間を置いて炉の中に入れた。これもすぐに燃えはじめ、熱はナオトたちが遠巻きに立っているところまで伝わってきた。
――炉の中にはじめに入れた木炭はどれだけの量なのだろう? それに、上から砂鉄と木炭を足すのはいつと、あの人はどうやって決めるのだろう? 燃える木炭の色を下の穴から見ているのだろうか?
それにしても、炉の外側の壁から煙が漏れ出しているではないか。あの隙間は泥でしっかりと塞がなくてはだめだ。そうすれば炉の中はもっと熱くなって、砂鉄は溶けやすくなる……。
こうしてナオトは、そうと気付かぬ間に、鉄作りにのめり込んでいった。
「焼き上がるまでの三晩、ずっと待つわけにはいかない」
とメナヒムが告げると、それを予期していたように族長は、
「では、こちらに」
と、隣りの小屋に案内した。途中、積み上げた堅焼きの煉瓦を支えに丸太を三本渡した棚があり、何かの金属が溶けてくっ付いたように見える黒い汚れた塊が積み上げてあった。
エレグゼンに耳打ちされて、メナヒムは族長にそれを見せてもらえないかと頼んだ。あっさりと受け入れてくれ、数日前に焼いたばかりだという大小の重たそうな鉄の塊をいくつか手渡してくれた。元は、もっと大きなものなのだろう。叩いて割ったような断面が見えている。
メナヒムはそれをナオトに渡した。いまや、牧地に戻り次第に自分でやってみると決めているナオトにとって、これは本当にありがたかった。
手に取ってみると、ずしりと重い。それに、いろいろなものが混じっているように見える。
――なるほど、溶けた砂鉄はこういう姿になるのか……。
棚には、同じような塊がいくつも並べてあった。いま手にしているものとは違う、穴だらけの塊もあった。
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