『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[174]匈奴のいま
第7章 鉄剣作りに挑む
第4節 トゥバに辿り着いたニンシャ人
[174] ■4話 匈奴のいま
メナヒムが続けた。
「およそ百年前、匈奴の偉大な王、冒頓単于はシーナの地に漢王朝を開いた劉邦――漢の高祖――を破り、自らを兄と呼ばせた。漢王は弟ということになる。
弓矢を置いたときに約束した通りに、それ以降、漢は年ごとに絹、真綿、鉄、コメ、酒、鉄製の武具などを貢ぎ物として匈奴に献じた。単于は余分なものをソグド商人に任せて西に運び、売った。その道中、商人を護り、うまく使いこなした。
ソグド商人の中には、西の小国で産する玻璃や宝石、玉などの珍しいものを漢まで運ぶのを生業にする者が多くいた。その帰り道には、漢から絹を運ぶ。そうしたとき匈奴の国を通るので、単于は何がしかの献上を求める。
そこでソグド商人は、そうした小国の使いを単于の王庭まで案内し、それら小国が献上すべきものを単于に選ばせた。献上品は小国に出させ、商人はそれを手伝うだけで手元からは何も出さない。ソグド商人の知恵だ。
そうした西方の珍しい品々を、その頃の匈奴の男女が大量に欲したとは到底思えない。だから、西の国々から匈奴に届けられた品物の多くは、単于の王庭を通って、結局は漢の地まで運ばれたのだ。逆に、漢から届けられたものは西へと運ばれた。
そういうソグド商人には、わしらの同族が含まれていた。むしろ同族の方が多かったのではないか。わしは、ソグドの言葉もヘブライの言葉も読み書きできる。前の単于がわしを西から東へと移した理由にはそれもあるのではと思う。
このまま戦士にしてはならないと考えてエレグゼンをウリエルに預けたのもそのためだ。わしら一族は言葉を巧みに使う。戦さよりも商いをよくする民なのだ。
わしが誘って兄弟二人で匈奴に加わり、そのために、弟のカーイを早くに亡くした。
わしは、その子のエレグゼンは戦士にはしたくなかった。ナオトと二人で立ち寄ったというハミルのバザールでの話を聞いても、エレグゼンはむしろ商人に向いている。いまでもそう思う。己の身を己で護ることのできる商人などそうはいないからな。
匈奴の王庭に献上された品々をソグド商人に東へ西へと運ばせる。それだけで匈奴は、飢えの恐怖から逃れた。匈奴の子も畜獣も、幼いままに死ぬことが少なくなったことには気付いていよう。それは、ムギとコメの蓄えがあるからだと思う。
戦さに使う武器すら、少し前までは、ソグドの商人がペルシャや漢から匈奴の地に運んでいた。
ここから沙漠を越えた漢との国境、代郡というところに漢が設けた関所がある。
漢は、しばらく前までは冒頓単于と何代も前の漢王とが取り決めた通りに、武具を匈奴の国に届けていた。それを取り締まるための関所だ。ここを締め付ければ漢からの武器は止まる。しかし長い間、細りこそすれ、武器は止まることなく入り続けていた。
漢との境の地にはこれ以外にも市があって、匈奴はそこでいろいろな品々を手に入れている。そして、どの市にもソグド商人がいる。こうした市はもともとは冒頓単于やその後の老上単于がはじめたものだ。我らは、昔の英雄が築いた道を歩んで、この草原で飢えとは無縁の暮らしをしている。
匈奴と漢の民がともに争い事なく暮らすというのは決して稀なことではない。むしろそれが常だった。境を接している土地ほどそうだ。
古老に匈奴の昔の話を聞くと、冒頓以前には、匈奴族がはじまったオルドスばかりか、シーナの中原においてすら、遊牧民とシーナ人とは物のやり取りをしながら、交じり合い、隣り合って暮らしていたという。
そうは言っても、やはり、匈奴の国にも漢にもわしらの同族は少ない。わしらは、ここ匈奴では匈奴として生きていくしかない。わしは遠い昔にそう決めた。ところが、その匈奴の民は、もはや以前のようではない。
左賢王の支配地と、オンギン川から西の右賢王の支配地とでは、暮らしぶりはあまりにも違う。
近頃、皮衣を身に付けようとしない若者がいるという話を聞いた。重すぎるので絹にしたというのだ。馬に乗れなくなるほど酒を呷る者が大勢いる。土城と田畑を守ると称して草原を去り、倉にムギを積む城の内に住むのを好む匈奴がいる。畜獣の臭いが厭わしいと口にする者さえいるありさまだ。
匈奴の国にわしらの同族はいない。しかしいまや、匈奴の国には真の匈奴も稀だ」
みな、押し黙って聞いていた。
ナオトには語られた半分も理解できなかった。しかし、その無念をどこに向ければいいかわからずにいるメナヒムの苦悩は確かに感じ取ることができた。
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