『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[139]森を抜け、トゥバに着く
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第5節 トゥバの鉄窯
[139] ■1話 森を抜け、トゥバに着く
遠征十九日目――。川岸にまで迫る森の中を進むと、突然、視界が開け、北からの急な流れが音を立てて下りてくる川と、遠くまで続く広々とした草原とが目の前に現れた。案内の兵がメナヒムを振り返り、水音に負けないほどの大きな声で言った。
「右はソヨンの山脈、左の奥に微かに見えている遠い山並みがタンヌオラ。目指すトゥバへの入り口はもうすぐです」
ようやく、トゥバ盆地が木の間に見え隠れしてきた。それは、ソヨン山脈とはるか南のタンヌオラ山脈とに囲まれた広大な草原だった。ナオトの方を向いて、
「吾れはここで生まれた。ほとんど何も覚えていないが……」
と、エレグゼンが感慨深そうに言った。
いま見下ろしているタンヌオラの北の輝くような緑の草原は、魂が洗い清められるようなところだった。
積石がそうと示すトゥバの村境までしばらく進んだ。日はだいぶ傾いている。
その境を越えて行くと、川が深い藪とそれに続く大きな草原を南北二つに分かつところに出た。案内の兵が、「トゥバで匈奴が鉄を作らせているのはあの先だと思います」と指差した。「わかった」と応じたメナヒムは、二人の案内兵に革袋に入った銀の粒を渡して礼を言った。
「明日の朝までこの地に留まり、その後、ハカスに向かいます。それまでは、呼んでくれればすぐに参ります」と言い置いて二人は去って行った。一人ナオトが、手を振って見送った。
トゥバを守護する匈奴の部隊の灯火はすぐに見つかった。突然の来訪にもかかわらず、その隊長は「鉄窯の準備を頼み、明日の昼にご案内します」と言って糧食の不足を問い、それから、村の西の境に近い屋根のある干し草置き場まで案内してくれた。
隊長が取り寄せてくれた作り立ての馬乳酒をみなが喉を鳴らしてゴクゴクと飲んだ。ラクダの乳で作ったというアウールルをかじりながら、エレグゼンが「昔嗅いだ香りがする」と独り言を言った。
こうして、トゥバでの最初の一日を終えた。
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