『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[175]匈奴が失った鋼作りの伝統
第7章 鉄剣作りに挑む
第4節 トゥバに辿り着いたニンシャ人
[175] ■5話 匈奴が失った鋼作りの伝統
メナヒムはなおも続けた。
「冒頓単于に代が変わった頃、西方から招いたペルシャ人の力を借りて、匈奴はすでに鋼の剣を作る技を自分たちのものにしていた。それ以前には、冒頓単于と同じ北のテュルク族の工人に無理矢理に作らせていたこともあるという。
丁零やタンヌオラの北の原のテュルク人は、大昔から、鉄や銅などの金属を扱ってきた。だからこそ、この一族はこれまで生き延びてこられたともいえる。
我々遊牧の民は工人を殺めない。結局は、物を作る者に依存して暮らしていると知っている。殺すわけにはいかないのだ。
しかしその後、モンゴル高原では部族間の抗争が相次いだ。その時代には、敵方のために働く奴隷は工人であれ殺した。
匈奴は、良馬は何としてでも救う。
しばらく前に、漢の王が血の汗を流す馬と呼んでモンゴルの良馬を欲しがった。漢へと馬を持ち出そうとする愚か者も現れた。そのとき、はるかにたやすいにもかかわらず、引かれていく馬に矢を集めて殺そうとは敢えてしなかった。匈奴の勇士が何人か命を落とすことになっても、馬を助け、取り返した。
だが、匈奴内で部族間の争いになったとき、どれほど役に立つとしても、匈奴は奴隷を見殺しにした。ペルシャ人やテュルク人を白奴と呼んで蔑んでいた連中は、かけがえのない鉄を扱う工人たちが目の前で殺されるのを見ても見ぬふりをし、また、離散を許すということを繰り返した。
そうして、鋼を作る方法も、鉄窯も、そのために使う道具や素材も、もともと何をどうやっていたものやら、いまでは知る者はほとんどいなくなってしまった。
殺されるとわかっていれば何をおいても逃げ出す。こうして、匈奴が生き延びていく上で欠かせない鉄と鋼の作り方のすべてが失われてしまった。昨日までの仲間への憎しみが勝って、己で己の首を絞めたのだ。
匈奴にとって、物作りは奴隷のやることだ。匈奴自らがそれを手掛けることはない。匈奴は穴を掘ることすら嫌ってやろうとしない。それは、この国が続く限り変わらないだろう。だからこそ、ナオトがいまやろうとしていることが意味をもつのだ」
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