『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[084]鬼が作る鉄
第4章 カケルの取引相手、匈奴
第2節 舟路を急ぐ
[084] ■4話 鬼が作る鉄
カケルはそこで、目をハヤテからナオトに移した。
「この春に吾れは、ナオトを連れてその黒金作りの窯の跡というのを見に行った。岩木川を遡っていくと、白上の山に少し入った川沿いに窯の跡だと言い伝えられているところがあった。囲炉裏を大きく深くしたような構えで、辺りに散らかっていたのは、煤で黒ずんだこれままで見たことのないようなものばかりだった。
案内してくれた土地の爺さんが、焼いて黒金にしていたと伝えられる黒い砂が水草の根元に付くというので、川原に下りて見た。『こういうものもある』と、鈴のように鳴る土の筒のようなものも爺さんの家で見せてもらった。『お守りだから』と嫌がるのをなんとか頼んで手に取ってみた」
何か言いたそうだなと、二人がナオトの方を見たので、
「ずしりと重たかった。石よりもずっと……」
と、一言だけ口にした。頷いてカケルが続けた。
「これを焙って溶かして黒金を作ったのではと、その爺さんが言っていた。吾れもそう思う。しかし、その筒のもとは砂だぞ。そんなものが溶けるのか、吾れにはわからん……」
「炭火ならば溶けるかもしれません。熱くすれば曲げることはできると思います」
「……。そうか、ナオトは善知鳥で器を焼いていたのだったな。ヒダカで、あのときお前は何も話さなかったが……。火には詳しいのか?」
「はい。そう思います」
「そうか……」
「さっき話した会所近くの鍛冶場では、夏でも冬でも、熱いほどに木炭を燃やしている。火に焙られて顔はみなひどく赤い」
そういえばというように、ハヤテが口にした。
「そうなのか。やはり炭火か……」
「フヨの北には、木を伐りすぎて禿山になったところがいくつもあると聞いたことがある。そのときは、『寒い年が続いたのだろう』などと話していたが、ほんとのところは木炭を焼くのに木を伐ったのだろうか……?」
と、ハヤテが笑い話のようにして言うと、カケルが真顔で続けた。
「鬼が木炭を燃やして鉄を焼く、か……」
「カケル、お前、昔、ヒダカには本当に鬼がいたと思うか?」
と、こちらも真顔になってハヤテが訊いた。
「いや。だが、姿形が周りの者と違う人たちはおそらくいたのだと思う……。砂とも見える、何かの黒い塊を使って鉄作りをしていた白上のその鬼のような姿の人たちはずっと昔に散り散りになってしまい、いまでは、黒金をどうやって作っていたものか、知る者はいない。そういうことだと思う。
しかし、それは鉄の話だ。おそらく鋼ではない。その鬼は鋼も作っていたのかもしれないが、剃刀になるような硬い鋼の話はタケ兄も聞いたことがないそうだ」
「タケ兄か?」
「ああ、吾れの舟子のタケ兄は岩木山の麓で育ったのだ」
「そうか。あの肝の太さは鬼譲りか……」
「剃刀や小刀になる鋼の作り方は、鉄よりもずっと手が込んでいると前にヨーゼフが言っていた。南のアマ国でも鉄を作るが、刃物にする鉄まではまだないと舟長のミツルから聞いたことがある。おそらく鋼は作っていないのだろう。
西の海を渡る舟の上で吾れは、フヨの工人をヒダカに招いて鉄を作ってもらえばいいのではないかと考えた。いまハヤテの話を聞いていて、もしそれをやるのならば、鉄と鋼と両方を作れる人がいいと思った」
「それが、鉄ではなく人を運ぶということか?」
「そうだ。その方がわけなくできる。いまやろうとしている匈奴との取引を毎回うまく運ぶというのは、正直、なかなか難しいと思う。いつか、どこかで手違いが起きる。だが、よくよく考えれば、吾れらの得意はやはり、舟で荷を運ぶことだ。その運ぶ荷を物から人に替えればいいのではないか……。ハヤテ、お前、どう思う?」
「いい考えだと思う。吾れはそんなふうに考えたことはなかった。うんと言わせるのはなかなか難しいと思うが、何人か当たってみるとしよう」
「それをやるにしても、まずは元手がいる。だからここしばらくは、匈奴が欲しがるフヨの鉄とヒダカから運ぶコメとを手際よく取引するのが一番だと思う」
ナオトは、黙って二人のやり取りを聞いていた。そして思った。
――仲間とはいいものだ。違う考え方が合わさってなおいいものになる。それにしても商いとは、いろんなことに気を配ってやるものだな……。
しかし、ナオトが真に心惹かれたのは、鋼の板を叩いて磨き、研ぐというハヤテの話だった。
――前に、吾れの小刀をヨーゼフ爺さんが緑色の石を使って研いでくれた。ハヤテはあのことを言っているのだ。会所の鍛冶場か……。一度、鉄を鍛えるところを見てみたい。
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