『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[102]部族の集まり
第5章 モンゴル高原
第3節 ザヤがナオトを救う
[102] ■1話 部族の集まり
ナオトにとっての危機はまだはじまったばかりだった。
――敵ではないと、エレグゼンはなんとかわかってくれたようだ……。
エレグゼンの部族は漢との戦いに備えている最中で、ここ当分は、他所から来た匈奴でない者は、誰彼なく、みな殺すと決められていた。エレグゼンが「ナオトに害意はない」と言ってみても、部族内にそれで納得する者はいない。
ある日の午後、メナヒムのゲルに集まった部族の主だった者とエレグゼンとの間で問答が続いていた。
「ナオト? ナオトとはあの者の名か?」
「そうだ」
「エレグゼン、お前、話したのか?」
「ああ」
「どうやって?」
「身振りで。それに、ソグド語を少し話す。ソグド人の友人がいると言っていた。ナオトは賢い。すぐに我ら匈奴の言葉を覚える」
エレグゼンは、そのソグド人とは、この会を取り仕切るメナヒムがよく知るヨーゼフだとは敢えて明かさなかった。
「ソグド語だと?」
「ああ、ソグド語だ」
「あの男はソグド人なのか?」
「いや、ヒダカ人だ」
ヒダカと聞いて、座が一瞬ざわついた。
「ヒダカ? やはりヒダカか……。ヒダカはどこにあると言っていた?」
「東の、海の向こうだ」
「海の向こうだと、あの男がそう言ったのか?」
「そうだ」
「エレグゼン、確かお前はまだ海を見たことがないだろう。ここからはずいぶん遠いからな。その遠くにある海をわざわざ渡り、その上、一月も歩いてヒダカ人がここまで来るなど、そんな話は聞いたことがない」
「しかし、ナオトは実際に渡ってきたのだ、舟で……」
「舟、舟だと?」
「ああ、舟だ。人と馬とコメを載せて海を渡る大きな舟だ」
「……?」
メナヒムにはちょっと信じられなかった、馬車や舟を使って、東にあるフヨの地から食糧や武器を大量に手に入れることができないかいろいろと試みているところだという話が、夏の初め、単于の王庭で開かれた龍城の会で出たばかりだったからだ。
――はじめるとすれば、実際に手を貸すのは左賢王のはずだ。しかし、わしはまだ聞いていない……。
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