『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[077]第4章 カケルの取引相手、匈奴
安達智彦 著
【第4章の主な登場人物】
ナオト ∙∙∙∙∙∙∙ 海を渡り、フヨ国にあってなお西を目指すヒダカ生まれの青年
カケル ∙∙∙∙∙∙∙ 大陸に渡り、匈奴と取引するヒダカの舟長。ナオトの義兄
ハヤテ ∙∙∙∙∙∙∙ フヨの入り江にあってカケルの交易を助けるヒダカ生まれの商人
ヨーゼフ ∙∙∙ フヨの入り江に住み、匈奴に行くナオトを助けるソグド商人
ドルジ ∙∙∙∙∙∙∙∙ 羌族だが、ソグド語を話し、ヘブライの経典を知る若者。
ドルジの父 ∙∙ 漢の山東半島にいた羌族の末裔。商人ヨーゼフとは同族
匈奴の輜重隊長 ∙∙∙∙∙ カケルのコメを求めて松花江を越えてきた騎馬隊の隊長
ハル ∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙ ナオトの幼馴染み
アーイ ∙∙∙∙∙∙∙∙∙∙ ソグド人が営む商人宿の娘。ドルジの許婚
「第4章 カケルの取引相手、匈奴 」のあらすじ
カケルが海を越えて西の大陸に運ぶのは、十三湖の周囲の水田で穫れる籾米だった。それを、漢との戦争のために物資を集めている匈奴に売りさばこうとしている。ヨーゼフとその下で働く者たちの協力を得て、フヨの陸に在ってカケルを助けるハヤテが繋ぎを付けたのだった。
漢の北にあって、物資の流入を漢に妨げられている匈奴国は、東方に位置し、同じく漢と対立するフヨ国の王と手を結んで輜重の騎兵隊を常駐させ、馬と荷車の車輪を替えるためにとフヨ国内に数多くの駅を置いていた。
匈奴との取引は、カケルが舟を着けるアムール湾内の入り江の北にあるハンカ湖という大きな湖の西岸で行う。その地を目指して、南北に長い湾内を荷を乗せた小舟が帆走した。
カケルが、武装した恐ろしい顔つきの匈奴との取引を無事に終えた日、ナオトはそこで別れて、西にあるモンゴル高原を目指すと決めた。そこは匈奴の国だった。
なぜだとみなが息を吞む。どうしても一度見てみたいと言い張るナオトをカケルは引き止め、しかし、それまで幾日も側で働くナオトを入り江の浜で見てきたハヤテが後押しした。
匈奴言葉の通詞として居合わせたドルジは、馬にも乗らず、未知のフヨの原を己の足で駆けていくというナオトに、そこここに潜む危険について教えた。 【以上、第4章のあらすじ】
第4章 カケルの取引相手、匈奴
第1節 カケル、フヨに戻る
[077] ■1話 ヒダカのコメを積む双胴舟 【BC92年7月末】
十三湊を発ったナオトが大陸に着いてから、月の満ち欠けが三巡り目に入った頃、カケルの舟がフヨの入り江に戻ってきた。
双胴の舟は荷で一杯だった。日はまだ昇りきっていない。舟を降り、大きく手を振るナオトを見つけた舟子たちが、「ナオト、元気にしていたか」などとそれぞれに声を掛け、体を清めようと、疲れた足取りで浜の中ほどにある水場に向かった。そのあとは、ハヤテの家近くの仮眠所で横になると言う。
一方、休む間もなく三艘の小舟にコメ俵を移し替え、すぐにもハンカ湖に向かおうとするカケルの目を見ながらハヤテが言った。
「ナオトも連れて行こう」
ナオトの顔付きは、一月余り見ない間にまるで違っていた。
「ハヤテがそう言うのならば」
と、カケルが頷いた。二人とも、どこか満足気だった。ナオトは、やや離れたところに立って二人のやり取りを黙って聞いていた。
この舟旅では、ハンカ湖の会所は途中に過ぎず、入り江に着いた荷を受け取るまでの日数を何日か縮めたいという匈奴の隊長の望みをかなえるために、ハンカ湖の北の奥までコメを運ぶことになっていた。カケルは、そのような初めての企てにナオトが同行するのを心強く思っている自分に気付いて、内心驚いた。
ひどく濡れている積み荷はないかとハヤテが細かに見て回り、フヨの人夫たちを指図して俵の上下を返すなどしている。コメ俵をいくつか、前に運んでヨーゼフの蔵に預けてあるものと替えた方がいいと話しているのを聞いていたカケルが、何かを思い出したように、傍らに立つナオトの方を見て言った。
「やはり、これからは鉄だ」
カケルの顔を見ながら、ナオトは深く頷いた。
――鉄といえば、ヨーゼフ爺さんの鍋も鉄だった。この二月、毎日、ヨーゼフと鉄鍋の世話になった。荷車を引いて蔵まで行くというのならばまだ間があるだろう……。
「カケル兄、背負子を取りに行ってきます」
そう言い置いたナオトはヨーゼフの家に向かって走った。
――ナオトはいつだって、義父が遺したというあのヒョウタンの水呑みと背負子を離さない……。
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第4章の目次 【各節の初めへ移動するためのリンク】
第4章1節 カケル、フヨに戻る [077] の冒頭へ
第4章2節 舟路を急ぐ [080] へ
第4章3節 匈奴言葉の通詞、ドルジ [084] へ
第4章4節 ナオト、モンゴル高原に向かう [089] へ
第4章5節 フヨの草原を走る [092] へ