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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[120]ザヤが寄せる思い
第5章 モンゴル高原
第9節 季節は巡る
[120] ■1話 ザヤが寄せる思い
ザヤは、エレグゼンとナオトが連れ立って動く様を、いつもどこかで見ていた。あるときはゲル近くの草原でヒツジを追いながら、あるときは牧場で馬を遊ばせながら、またあるときは営地で女たちとの話に興じながら。ザヤの視線の先にはいつもナオトがいた。
女たちはみな、そのことに気付いていながら口にはしなかった。
匈奴人と比べて頭一つだけ背が高いナオトは、営地のどこにいても目に付いた。それに、部族内でナオトは、いよいよ目立つようになってきている。ナオトの周囲だけがいつも少しだけ広く空いているように、ザヤには感じられた。
たいていの匈奴の娘がそうであるように、ザヤは自分の気持ちを隠そうとはしなかった。
ナオトに心を寄せる娘は他にもいたけれど、ナオトはザヤの父が連れて来て、ザヤが救った男だとよく弁えていたので、よほどの用事がない限りナオトには近づこうとしなかった。ザヤを怒らせたら大変なことになる。匈奴の娘はみな、それをよく知っていた。
ナオトは、しかし、ことさらにザヤを意識するそぶりを見せることがない。というよりも、ナオトの目にザヤが映ることは稀だった。ナオトの前には、いつだって、やりたいこと、やらなければならないことが山のように積み上がっていた。
ザヤは、気が気ではなかった。父はすでに、北の丁零族の長から、息子を連れて嫁選びに訪れたいという話を持ち掛けられている。いつまでも首を横に振り続けるわけにはいかなかった。
――なんとか、ナオトと話をしなければ……。
ザヤがときどき見せる眼差しがただの親しみからのものではないと、ナオトにもわかってはいた。しかし、どうしようもなかった。
――吾れにはやることがある。バクトリアに行ってその地を見て回り、器を探す。ザヤがどうのと言っているときではない。
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