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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[016]海を渡る品々

第1章 西の海を渡る 
第5節 双胴の舟

[016] ■4話 海を渡る品々
 大陸むこうのおかのフヨの入り江には、東から西から、また、北と南からもいろいろなものが集まってくる。そこの商人あきないびとたちがヒダカ物と呼ぶ北ヒダカから持ち込まれる産物の第一は魚と貝を海の水で洗って乾したもの。フヨの入り江ではこれを南のシーナの人に倣って乾物カンブツという。
 ヒダカの乾物は、カヤで編んだ同じ大きさのたわらという独特の入れ物に入れて大陸に運び込まれるので、とくに俵物たわらものと呼ばれている。銀と交換するときの両目りょうもくは、乾いたまま届いて軽くても、濡れて重くなっていても、俵の数で決めてある。ヒダカの商人は俵の中身をごまかさないことで知られ、信用があるためだ。
 ヒダカびとはフヨの入り江に人を置いていて、俵の中身がひどく濡れているときにはたとえ取引の後であっても、乾物もコメも運び込んだいちの奥の原を使い、ヒダカ人らしい丁寧ていねいなやり方で乾かす。荷にカビがえたものがそのまま市に並んだのではヒダカの名に傷が付くからだという。
 ヒダカからはこうした乾物の他に、加工した竹材、たかなどの羽根、水晶、貝を加工し磨いた装飾品や小珠こだまを連ねた飾り、壺入りのうるし――辰砂しんしゃという赤い石、水銀すいぎん――、皿、椀やくしなどのうるし製品、麻布、シカの角やクジラの骨で作った針や櫛などを運ぶ。このところ、それにコメ俵が混じるようになった。

 一方、大陸からは、もとはヒョウトラ、テンといった珍しい毛皮を運んでいた。ベッコウ、青石、変わった形の草の根や蜂蜜はちみつなどの薬を運ぶこともあった。しかし近頃は、なんといっても鉄の小板が多い。
 北ヒダカでは、さまざまな道具を作るもととなる材料が石や粘土つちから鉄へと変わろうとしていた。
 黄金きがねは面白い品で、ヒダカではれず、また見ることもきわめてまれなので、いまのところ、これ自体はヒダカびとにとって価値がない。ところが大陸むこうでは、黄金はムギやコメと同じように何とでも交換できる。それがヒダカ人が手にする黄金に価値を与える。
 フヨの入り江などで開かれるいちには、専ら黄金だけを欲しがるというソグドやインドの商人がいて、運び込まれる少量の金を銀やその他の品物と先を争って交換しようとする。その交換の割合が、そのときどきによって有利にも不利にもなるとして、集まったみなが声を張り上げての大騒ぎになる。
 こうした海を通じた交易をフヨの王の従弟いとこだという豪族が海際うみぎわにあって支配し、入舟銀いりふねぎんを徴収していた。浜では、そのうちにこれが言葉の違う匈奴ヒョンヌという馬に乗る人々に替わるのではないかと噂されていた。

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