『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[170]李廣将軍が恐れたニンシャの技
第7章 鉄剣作りに挑む
第3節 メナヒムの昔語り
[170] ■3話 李廣将軍が恐れたニンシャの技
「李廣将軍は、丸一日、ニンシャの地を見て回った。門ごとに立ち止まり、中の様子をつぶさに窺っていたという。そして将軍は、ニンシャ人はそれまでに見たことのない道具を使い、みな特殊な技能をもつと知った。
いま、ナオトはどうにかして鋼を作ろうとしている。ところが百年も前に、ニンシャには鍛冶がいた。鉄の道具を研ぐというだけを仕事にする工人もいた。わしの父のように鉄の道具を使って井戸を掘る者もいて、特別な工人だというので大事にされていた。鉄も、鉄でできた道具も、身の回りにありふれていたのだ。
ナオトが今日、ニンシャについて聞きたいと言ってきたのはそういう事情からだとわしは思う。ナオトは賢いからな。
李廣将軍は、ニンシャ人をこのままこの地に置いていたのでは匈奴の計らいの通りになると考えた。
匈奴が皆殺しにしてしまうというのならばそれでもいいと思っただろう。しかし、ほとんど毎年襲ってくるというのだから、殺すつもりなどはじめからない。匈奴は、武器を揃えるためにニンシャ人を利用している。奪うのではなく取引に来ると確信したのだ。
ニンシャ人の集団は何を作らせても器用にこなした。たとえばニンシャ人は、井戸を掘るというのにとどまらず、荒れ野に水を引く術を知っていた。
漢人が見向きもしなかった乾いた荒れ地に、大昔からペルシャ人が能くするカレーズという方法で水を引いた。ニンシャに来る前に、はるか西の乾いた大地、バクトリアの近くでペルシャの人々が使っていた方法だ。わしの父もそういう井戸掘りだった。
まず、よく地形を読む者がここをこれだけの深さ掘れば水が出ると場所を告げる。掘ると、その通りに水が噴き出した。そこから西南に向けて続く荒れ地に、間隔を空けて点々といくつも井戸を掘る。水は出ても出なくてもよい。とにかく掘る。
畑を広げようと新しい井戸を掘りはじめたとき、わしらニンシャの幼い子等は、掘っても水の出ない井戸に向かってカラーンと小石を蹴り入れては、よく父に叱られた。
こうして掘った乾いた井戸を地下でつなぐ。その後に水の出る井戸と結べば、いずれ、どの井戸からも水を汲むことができるようになる。ペルシャ人が言うように、水が水を呼ぶのだ。ニンシャ人たちは、それぞれの井戸から荒れ地に水を引いて畑にし、ムギを育てた。
そればかりか、小川の流れを作って岸に楊柳を植えた。わしが生まれる前のことだ。それが長い間には並木になり、乾燥した土地なのに、わしらニンシャの子等は暑い日には緑の木陰で遊んだものだ。
それに、ニンシャ人は文字を使う。ソグド語と同じ文字だ。しかも、商いも文字も男だけというソグド人とは違い、ニンシャでは男も女も文字を習い、その子までがみな、日々起きた大事なことを書き記すことができる。だから、ニンシャに伝わる得がたい技の数々は、住人の間に代々伝わっていく。
李廣将軍がどれほど驚いたかがわかるだろう?
将軍がとりわけ畏怖れたのは、鉄を自在に加工する技だったのではないかと思う。鍬の刃先や、穂を摘む鎌を作っているうちはよい。しかし、その先に鋼の製造があるのは将軍にとっては自明だったろう。何しろ、いろいろな石を使い分ける研ぎの工人までいたのだからな。
李廣将軍は生まれついての武人だ。これを見過ごすことはできなかったと思う。
しかし将軍は、幼子までを捕まえて皆殺しにしようとは考えなかった。匈奴に使われたくないならば、自ら使えばよい。そう考えてニンシャの一族の長に諮った。いくらか黄金を出してくれたのだと思う。
その金がものを言ってか、将軍の武力を恐れてか、大勢のニンシャ人が将軍に従い、住み慣れた鳳凰城外の地を後にして南に向かった。将軍の故地、漢の涼州に移ったのだ。
ニンシャの人々のほとんどはアブラムの一族、イスラエル人だ。そして工人だ。ナオト、お前と同じだ。
あの日、林の中でお前を一目見て、わしにはわかった。お前にはニンシャ人と同じ血が流れている。後姿が同じだ。人を殺さず、ものを作るというのも同じだ。
いままで人に詳しく語ったことはないが、わしら兄弟、わしとエレグゼンの父カーイはニンシャで生まれた。ザヤもエレグゼンも、ニンシャの工人の血を引く。
ニンシャ人の中には、李廣将軍の勧めに従わずに別の道を選んだ者たちがあった。奇しくも将軍と姓を同じくするわしら李維の一族だ。ニンシャでは李を名乗っていたが、わしも、ザヤも、エレグゼンも、千年続くレヴィなのだ。
漢の支配を嫌ったわしの父は、一族で相談して、ニンシャを去ると決めた。はるかアルタイの北の地ハカスで金を掘ると聞いていた兄を頼って行こうとしたのだ。
夜陰に紛れてニンシャを離れ、漢の兵を避けて河西の地を西に向かった。
幼かったわしは、両側に山が迫る大きな乾いた道を、遅れまいとする父母に手を引かれて必死の思いで前に進んだだけだ。風が強かったのは覚えている。だが、どこをどう歩いているのかは全くわからなかった。すべては、はるか後になってから聞いた話だ。
いまになって思えば、どれほど遠い道のりか、誰も知らずに歩いていたのだと思う。
小山の間を縫うようにして一歩ずつ進んだ。不思議と、咎める漢兵はいなかった。あまりにも異様な集団に映ったためだろう。
身を低くして嘉峪関を通り、乾ききった沙州の敦煌を何とか過ぎて、西からくる砂混じりの強風に悩まされながら、ついに、漢兵の手が届かないハミルに入った。
同族の助けを得て、そこで次の春まで過ごした後に、わしらは再び旅路に就いた。結局、ハカスには行かずにタンヌオラの北の草原に落ち着いた。父の兄――伯父はそこにいたのだ。長い長い旅を終えて、ようやく一家の生活が定まった。
母にとっては、わしら幼い兄弟を伴っての長くてつらい旅だったろう。エレグゼンの父は、そのとき四歳だった。言葉を口にしはじめてまだ間がなかったと思う。
わしの母は、思い出せないのか、あるいは思い出したくないのか、生きているうちはこの旅についてほとんど何も話さなかった」
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