『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[014]カケルのカタマラン
第1章 西の海を渡る
第5節 双胴の舟
[014] ■2話 カケルのカタマラン
ヒダカの民は、遠い昔から、生活の糧を求めて海に乗り出した。アジやセグロイワシは浜で待てばいい。しかし、タイやマグロを獲るには舟で沖に出るしかない。
昔は、丸太を刳り抜いた小舟を使っていた。そのうち、南から来た海の民が北ヒダカに伝えた双胴の舟を使うようになった。
カケルの舟は二艘の大きな丸木舟を左右に並べたものだ。その間に人の二の腕ほどの太さの杉と竹の棒を何本も横に渡して貫木にしてある。そのうちの六、七本は舟底を這わしたツタでしっかりと固定し、舟縁から外に突き出た爪と呼ぶ両端に留める。
この貫木の台に細竹を縦にぎっしりと敷き、床にしている。それをまとめるために黒竹を横に配し、隙間を通した麻紐で細竹を一本一本結わえ付けている。
舟には二つの帆を前後に高く上げて舟足を稼いでいる。
帆の作りと取り付けは舟長が海で身に付けた経験と知恵がものを言う。
切り取って広げたウミネコの片翼のような帆の形は、シタゴウと乗っていた頃の舟と同じだ。この帆の形は、「取り回しがいい」とシタゴウが好んでいたものだ。
ただ、二本の竹の桁に張った帆は、別に立てた帆柱から八本の繋ぎ綱を切れば外せるようにしてあるのが昔の帆とは違う。それに大きい。畳んで巻けば黒竹と太竹が並んで収まり、扱いやすい。この仕組みも、もとはシタゴウが考え出したものだ。
出帆の前に、カケルは思う。
――帆を前と後ろに二つ上げればどう働くか、見ることもなくお前は先に旅立ってしまった……。
後ろの小さい方の帆は、一度立てた後、次に下ろすときまで張り綱で貫木に固定したまま動かさない。
一方、少し大きい前の帆は手綱を使って向きを変えられる。その帆柱は、四尋近くもある梯子を使ってようやくてっぺんに届くほどに高く、それに太竹の桁が結わえ付けてあるので、帆柱を立てるときには閉じたままの帆も一緒に立てる。
麻綱を幾重にも巻いて補強した帆柱の根元を井桁に囲った受けの内側に据え、それを二組の梯子で両脇から支えている。さらに、柱のてっぺんから舟首と舟の前、中、後ろの舟縁に張り出した貫木に向けて合わせて七本の張り綱を張って帆柱を固定している。
帆柱を立てた後に、帆柱と並んで立つ真っすぐな太竹の桁に下の方で結び付けてある黒竹の桁を手綱で引っ張り、また、タケ兄と他の舟子が手を貸して、帆を開く。
黒竹の中ほどに結わえた二本の手綱を舟尻まで引いてきて、手綱柱に固定した舟幅の半分ほどの長さの帆柄に結んでいる。
舟尻には梶がある。二つの丸木舟それぞれに一つずつ、太い樫と二股の枝とを組み合わせた梶柱が据えてあり、梶はそこに取り付ける。
人に倍して力が強いカケルだが、それでも海水の重さには勝てない。どうしてもというときには他の舟子が手を貸せるように、梶の身木に木組みして長い柄を付け、うまく回せるようにしてある。浜に着いた後には、三人掛かりで水から引き上げる。
荒れた海で、前から来る波は怖い。そこで、波除けにし、舟足も上げようと、カケルは左右の丸木舟の舟首に木枠を被せて一段高くしてある。これはシタゴウと二人で乗っていた舟のときから変わらない。形は違うが、後ろから来る高波に備えて舟尻にもある。
この木枠を丸木の端に留めるのに麻縄に塗り込めるようにして黒泥を使っていて、濡れた後に日が当たると臭いがする。少し前まで、その臭いがシタゴウを思い出させ、一生、鼻について消えないのだろうかと苦笑いしたものだ。しかし、いまではほとんど気にならず、たとえ気付いてもすぐに忘れる。
また、二つの丸木舟の外寄りの舟縁には、飛沫を防ぐために檜の垣が回してある。カケルの家の戸と同じく、大陸のフヨで求めた板を十三湊で磨いたものだ。
フヨには鉄の道具があるので、木を割り、削って、ちょうどいい厚さにしてくれる。そうしたとき、交換の品にと、ただの木の切れ端二十枚ほどにヒダカのコメを俵で二つなどと言ってくるのでかなわない。
その波除けの板を、丸木舟の舟縁に縦に渡した二本の太竹で挟み、蔦の皮を巻き付けて留めてある。
――シタゴウがいれば何か別の工夫をするのだろうが……。
と、いつも思う。
舟の中ほどに建てた簡易な小屋の内に棚を作り、木炭や食糧、食事の道具を載せている。また、人が二人横になれるほどの間が空けてあり、夜にはそこで舟子が交代で眠り、寒さや揺れのために弱った者や病人を休ませる。ずっと気を張り通しの舟長は、舟子たちの隣に横になる。
交代で見張りに立ち、梶を見る三人を除いて、みな、夜にはそれぞれの持ち場かこの小屋で仮眠する。
こうしてカケルのいまの舟は、前にシタゴウと乗っていた丸太の刳り舟と似た仕組みを持ちながら、しかし、まるで違う作りになっていた。この舟ならば、北の島の渡の湊から大陸まで、早ければ十日余りで行く。
帆走するとき、風がそれほど強くなければ、舟尻に立つカケルが梶も帆も一人でなんとか扱う。
しかし、風が強くなってきて一人では難しいとなると、一番後ろの左右の漕ぎ手に声を掛け、カケルは舟尻の貫木に二本の太竹を合わせて作った座に寄り掛かって梶を取る。
カケルの脇に立つ二人は、手綱柱に支えられた帆柄の左右の端を握り、カケルの指示に合わせて帆の向きを変える。同じ二人が、カケルの梶取りを助けることもある。
こうしてカケルは、梶と風を捉える帆を操り、舟の進む方向を決める。
潮目を読んで海に漕ぎ出してみれば、舟足がどれほどかはすぐにわかる。大昔、そうやって西の海の向こうの地に交易のために舟を出す者が出てきたのだろう。
その頃の舟は丸太を刳ったものだったろうから、自身、長いこと丸木の舟に乗っていたカケルは、何日掛けて大陸まで渡ったのだろうかと、ときどき思う。
――たいしたものだ。あの丸太の舟で西の海に漕ぎ出すとは……。
帆を使い出してから驚くほどの舟足を得たが、それでも、陸を走るようなわけにはいかない。進まない舟の上で、渇き、飢えて、あるいは速すぎる潮に思わず流されて、多くの命を失いながら、それでもヒダカの民は代々、恐れずに海に出て行った。身近でいえば、愛しいカエデの父がそうだ。
苦労してここまで来たカケルは、そうしたヒダカ人の長い営みの果てに、己の生業があるとよく弁えていた。
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