『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[213]匈奴とフヨとを繋ぐ
終章 別れのとき
第3節 ヨーゼフとメナヒムの再会
[213] ■3話 匈奴とフヨとを繋ぐ
「ヨーゼフに頼むつもりが、代わってウリエルがお前を預かってくれた。
我ら匈奴の弱みは、戦時にはとくに、食糧を外に頼らなければならないということだ。たとえば、ソグドの商人にだ。いまやお前は、それを他の匈奴よりもよく知る。遊牧の国ならばどこも同じだ。はるか昔、あの冒頓単于の頃でもそうだった。
この国が続く限り、我らはずっと、食糧の不足に悩まされる。それと鉄だ。これなくして、どうやって戦うのだ。
どうしても、匈奴の内に、ソグド商人と繋ぎを取って、漢にも、烏孫にも、匈奴の仲間にすら知られないようにして物資を集める者が要る。わしはそう考えた」
「……」
「そしてその役目を、いまはわしが務めている……。ヨーゼフのもとに二人の男がいる。クルトとドルジだ」
「クルトとドルジ? ドルジもかかわってくるのですか?」
「ドルジについて聞いたことがあるのか?」
「はい、ナオトの話によく出てきます」
「そうか。そういうことか……。抜かりのないヨーゼフは人を見る目も確かだ。クルトは、元は鮮卑の騎兵の小隊を率いていた。昔、鮮卑の騎馬隊と取引していたヨーゼフは、怪我をして弓が引けなくなったクルトを誘い、いまは自分の蔵を護らせている。クルトは強い男だ。
聞いているかもしれないが、もう一人のドルジは羌族の若者だ。漢の海際にある斉という国で生まれ育ったそうだ。歳は、エレグゼン、お前と同じか少し上だろう。このドルジという男は匈奴の言葉もソグド語も話す。それに何と言っても、ヘブライ語を読む」
「えっ、ドルジはヘブライが読めるのですか?」
「ああ。タナハで学んだそうだ」
「なんと!」
「そうなのだ。ヨーゼフにはいつだって驚かされる。父――お前の祖父――がいつも言っていたように、まるで神が遣わした者のようだ。フヨの地でアブラムの一族の者を探し当てるなど、信じられるか?」
「まるでペルシャの幻術ですね、ヨーゼフが言っていたという……」
「幻術か。んーん、言われてみればそうだな。わしはウリエルを介してフヨに住むヨーゼフと繋ぎを取りながら、それがなくてはこの国が立ちいかなくなるというときに、鋼やムギを密かに送ってもらっている。
たとえば、長くて幅の広い鏃にする鋼がそうだ。もともとは息慎の鏃だそうだが、同じ鋼を鮮卑が作っている。わずかな量だが、それをクルトが手に入れて、左賢王が抱える工人のためにこの地まで運んでくれる。敵将の首筋を狙って射倒すためにはどうしても欲しい鋼と鏃だ」
「前から、あの平たい鏃や三翼の鏃はどうしてなくならないのかと不思議に思っていました。その素になる鋼がフヨから届くとは……。そういうことだったのですね」
「クルトは、夏の間に一度か二度、ウリエルのもとを訪れる。外見には、息子のウリエルが求めるものを、少量だが、ヨーゼフが使いに持たせると装っている。孫娘にとフヨの蜂蜜を届けることすらある。だが実際には、クルトはウリエルを介してわしとヨーゼフとを繋いでいるのだ。この繋ぎの仕組みについては誰も知らない」
「匈奴とフヨの繋ぎ……」
「エッレ、覚えているか? わしのゲルに家族で集まりナオトの話を初めて聞いた日のことだ。あのとき、ナオトの口から『ニンシャ』という言葉が出た。考えても見ろ、わしがどれほど驚いたか。幸い、お前たちが何かに気付くということはなかったようだが……」
「いや、ザヤはおそらく気付きました。少なくとも、何かおかしいとは思いました、きっと」
「そうか。ザヤか……」
「ええ、ザヤです」
「あのときわしは、『ヨーゼフはうまいやり方で使いを送って来たものだ』と感心した。いざというときには使えるとも思った。だからナオトの出現は、予期しないものではあっても、それほどの驚きではなかった。しかし、まさかそのナオトが、あのようなことを成し遂げるとは、思いもよらなかった」
「それは、そうですね。本当に。剣を作るとは……」
「ヨーゼフの蔵にはいつも荷車六台分の鋼が積んである。匈奴のために選りすぐった鮮卑の鋼だ。一台分はすでに届いている。イシクはいま、その鋼を使ってナオトのやり方で剣を作ろうとしているところだ。何本もな」
「そういうことですか……」
「そうなのだ。トゥバから戻った後に左賢王から聞かされたのだが、わしらがトゥバまで行った理由は一つには鋼だった。しかしそれよりも、運び出した黄金をハミルまで届けている方途を一度改めておこうと単于が考えたためだった。
鋼が届くと、その換わりに、トゥバの黄金をハミルにいるある男に渡すことになっている。もし金が届かなければ、フヨからの鋼は手に入らなくなる」
「そのために、あのとき五騎でアルタイの麓まで足を運んだのですね……」
「次の荷は大きい。わしからの頼みがヨーゼフに届いたところで、クルトと仲間がモンゴル高原まで運ぶことになっている。荷車四台分、すべて剣にするための鋼だ。
イシクが話してくれたのだが、鍛えて剣にまでなるような鋼は十のうちに一つあればよしというほどに貴重なのだそうだ。今度ばかりは、決して邪魔が入ることのないようにと、いま、鮮卑との間で密かに話を付けているところだ」
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