『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[110]メナヒムのゲルに招かれての食事
第5章 モンゴル高原
第5節 ナオトが語るヒダカ
[110] ■3話 メナヒムのゲルに招かれての食事
その数日後、上の方からエレグゼンに「おーい、ナオト」と呼ばれて行ってみると、そこにメナヒムがいた。
「少し、お前の話を聞かせてほしいと伯父が言っている」
と、エレグゼンが代わりに言う。
「わかった」
と、エレグゼンにソグド語で答える。
「では明日に」
とソグド語で告げて、メナヒムは去った。
初めてメナヒムのゲルに招ばれ、エレグゼンの横、入って左側の一番手前に座って家族とともに食事をした。メナヒムの妻と二人の子が一緒だった。戸口をくぐるとき、東の林の中で初めてメナヒムたち二人に会ったときに吠えていた白い犬が後ろでまた吠えた。
招ばれても、贈るものとてないので、ナオトは作っておいた土鈴のうちから音が一番遠くまで響きそうなものを選び、細い革紐を通して持ってきた。エレグゼンに渡すと、カランと一振りしてみせてから、それをメナヒムに渡した。
頷いて受け取ったメナヒムはよく見もせずにそれをエレグゼンとの間に座る息子のバフティヤールに見せた後で、左の奥に置いた。
その夜、ナオトは問われるままにヒダカでの人々の暮らしぶりを語った。ヒダカの山と海と川のこと。木と、木の実と、花のこと。
ヒダカに馬はいないこと。畜獣の乳を日々使うという習慣もないこと。ヒダカ人は肉ではなく魚を多く食べること。漁のこと、貝のこと、魚と鱗のこと、舟のこと。
数年前に海に漁に出たまま戻らなかった父のこと。母や姉のこと、カケルという義兄のこと。
カケルに頼んでその舟で海を渡って来たこと。運んできた籾米のこと。ソグド商人のヨーゼフ爺さんのところで二月世話になったこと。鉄鍋のこと。ソグドの言葉を少しずつ覚えたこと。
メナヒムと家族は、円座になって座り、目を瞠るようにして聞いていた。ときどき、隣りに座るエレグゼンが口をはさんでナオトのソグド語を補おうとするのだが、そのたびに、ゲルの右奥に座ったザヤがそうではないというように遮っては、奥から別の説明をする。父のメナヒムと同じく、どうもザヤはソグド語がわかるらしい。
そのザヤが口にするのは匈奴言葉なのでナオトには何を言っているのかわからない。しかし、話を遮られてしょげたようになるエレグゼンの顔の変化が面白いので、その場のやり取りが終わるのをじっと黙って待つようにした。
ナオトの話にヨーゼフの名が出てきたとき、メナヒムの表情が変わったように思えた。
――しかし、気のせいかもしれない……。
「ソグド語で海は何という?」
メナヒムが問うので、即座に「ダリャー」と答えた。
「他に何か知っている言葉はあるか?」
と、重ねて問うので、少し考えてから、
「ラクダ、交易、隊商」と応え、「草原や石の原をラクダを連ねて荷物を運ぶ一団のことです」と言い添えた。
「沙漠、砂嵐、ショマール・セターレ、井戸、コメ、ムギ、種、飢饉、虫の害、ペルシャ人、イスラエル人、ソグド商人、イリ、ジュンガルのコシ、ハミルのバザール、ナマクダン、塩、ヒョウタン、イオナ、イスカンダル、アッシリア、モースル、バクトリア、ギリシャ人、アルマトゥ、サマルカンド、ソグディアナ、インド、シーナ、ニンシャ、赤ら顔、ゴホラ貝、玻璃、アルタイの黄金、ハカス、蜂蜜」
心に浮かぶままに、もういいとメナヒムが手で制するまで続けた。なぜかナオトは、知っているだけ口にした方がいいと強く感じた。
これには、メナヒムも無言で頷くしかなかった。
――商人でなくて、どうしてこのような言葉を知っていよう?
メナヒムが息子のバフティヤールに目を移すと、少し顎を引いた。同じ印象を抱いたのだろう。
――しかし、ニンシャだと。まさか、ヨーゼフ爺さんが何か話したのだろうか……?
メナヒムは心の動きを顔に出さない。ナオトの話を聞いてメナヒムが本当のところどう思ったかは誰も気付いていない。
ヒダカでは、塩を海の水から海藻か素焼きの土器の板を使って作るという話も興味を引いたようだった。塩は大切だ。だからヒダカではどうなのだろうとは思う。ただ、その場のみなが、「真水からどうやって塩を作るのだ」と疑問に思ったようだった。
「海の水は塩辛い」
そう言ったのだが、どうも理解できないらしい。エレグゼンが気を利かして目の前の塩皿を手に取り、渡してよこした。ナオトは塩を手のひらに受けて口に運び、
「ダリャー、ショッパイ」
と、ヒダカ語で言って顔をしかめてみせた。座のみんなは「はははっ」と笑ったが、それでも、海の水がどれほど塩辛いものかは通じていないようだ。
見たことはないにせよ、海が果てしなく大きいというのは知っている。北の湖や東の湖よりもはるかに大きい。そこが水で満たされているのも知っている。だが、その限りなく大きい海の水がすべて塩っぱいというのがわからないと言う。
匈奴が使う塩は岩から採る岩塩だった。モンゴル高原の湖の水は塩辛いことが多いとエレグゼンから聞いたことがある。近くで塩の岩が採れるのだから、そうなのだろう。
そこで、湖の水が塩辛いというのはいい。だが、空から降る雨は塩辛くはない。川の水だってたいていはそうだ。だから、降る雨が集まった海の水が塩辛いなどということはあるわけがない。座の者はみな、その考えを変えようとしない。
――まあ、言ってもしょうがないか……、
と、ナオトは諦めた。
みなでする食事といっても、いつも口にしている乳の匂いのする食べ物と違う何かが出たわけではなかった。違うのは、一緒に座を囲んでいるということだけだった。だが、ひとつだけ違うものがあった。酒だ。メナヒムが何かを言い、ナオトにわかるようにと、それをエレグゼンが別の言葉で告げた。
「ヤギの乳で作る酒がある。エラーゲという。飲むか?」
ヨーゼフの家で口にした赤い酒のことが頭にあったので、ナオトは「いや、いらない」と応えた。それを聞いて、ザヤの母が心持ち笑った。後でエレグゼンが教えてくれたのだが、こういう席で酒を勧められて断ることは匈奴のうちではない、という。
――へえ、そうなのか……?
早々に引き上げて、ナオトは小川の方に下りて行った。今日も一日が終わった。
――木を刳って鉢や皿やへらを作るくらいで、他には何もしていない。
そろそろ、西に向かう頃合いだ。しかしそれは、次の春が来てからにした方がいいかもしれない。何しろ、どんな冬になるのかさっぱりわからない。みなが、もう少ししたら雪が降ると言う。ヨーゼフ爺さんは、確かにフヨの冬は寒いが、モンゴルも寒い。寒さは違うがどちらも生き延びるのが難しいほどだと何度も言っていた……。
川水で手足を洗って自分のゲルに戻ると、毛刈りする前のヒツジの皮の切れ端と両手を広げたほどの大きさの分厚い叩き布が入り口に置いてあった。馬の尻尾のように見える黒い細紐と革の紐が上に添えてあり、その隣りに何かの骨を削って作った針や木槌、見たことのない金属製の道具が並べてある。
――これは何だ……。
エレグゼンに訊きに行こうと思ったが、何かの返しのつもりなのだろうと考えて止めた。ヒダカの家から履いてきた父の浅沓は傷みがひどく、少し前から裸足同然で過ごしていた。それに気付いたエレグゼンが、これで長靴を作れと置いていったに違いない。そう思うとありがたかった。
その晩は、鹿皮でできたヒダカの雪沓の作りはどうだったかと思い出しながら、しかし、膝まである匈奴の長靴を真似てみようと皮切れをいじった。ようやく形になった長靴に両足を入れ、穴に通した革紐を縛って口を塞ぐ。温かく、足元が守られているようで具合がいい。明日から履こうと考え、枕元に置いて寝た。
それから後、エレグゼンのところにザヤが食事を運んでくるときなど、支度ができたと呼ぶのに、あのメナヒムのところに置いてきた土鈴を使うようになった。匈奴は土の器を使うことがあまりないらしい。鈴の音を聞くこともない。おそらくあの夕べには、それが何なのかよくはわからなかっただろう。
エレグゼンのゲルの前でザヤは、いつも鈴を三度振った。三回鳴ったらゲルの入り口に来てね、ということらしい。それ以後、鈴を三回というのが、ザヤとエレグゼンとナオトの間での合図になった。
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