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近況:近況っていってもなんもメモとかしてないからカレンダーを見ながら「そういやこのときこんなことしてたな」って思い出すだけである。そういう、計画性のない夏休み。テーマは「様子見」。様子見の夏。おまえらは就活してろわたくしはさっきひろった虫をきたえる。の、後編。


前編の続きだぜ。(そりゃ人生は地続きなんだから後編の日記が前編の日記の続きにあたるのは当然だろ)


9月~10月上旬まで、といったところか。






●9月



・文学フリマ大阪

https://bunfree.net/event/osaka12/

9月上旬。

そういう催しがあったので、友人と行ってきましたよ。mktkモクテカとなるようなブースは特にない……強いて言えば阪大短歌。阪大短歌が出してる部誌に、自分も短歌を寄稿したので、それを受け取りにいきたくはあった、くらいですね。

写真を見るといっぱい買ったように見えますけど、これ大半は無料で配布されてたやつですね。どうやって印刷やら出店やらの費用を捻出してるんだ。

……

無断転載

昼は『バーミヤン』とやらに。おいしいですね。

……

そう、晩まで遊んだんですよね。午後5時に文フリは終了。せっかくなのでこのまま遊ぼうということになり。

梅田駅に「阪急古書のまち」というのがあって、自分はそこがずっと気になっていたので、付き合ってもらいました。そこで「古本」と「古書」の違いを知る。古書、あまりにも古すぎる。一言でいうと、「古」のことを私は「second hand」だと思っていたんですよ、でもその実態は「ancient roman」!!「ゼロ世代のラノベ」みたいなのが見たくてきたのに「もはや戦後ではない」みたいな古さの本ばっかやんけ!!本の側面がもう麩菓子みたいな茶色で、その年季には感涙モンだぜ!!ってカンジである。それはそれで興味深かったし楽しかったですが。……ですよね?

服屋や靴屋を散策。よく考えたら毎日身に纏うものなのだから、その人の服やらの好みの話は、そのままその人のひととなりみたいなのが見えるものなのかもしれない。

梅田駅の内部機構みたいな、でっかいデパートメントストアみたいなところを散策。本屋、服屋・靴屋もそうだけど、こうした「物が陳列されている場所(「店」って言うんだよ)」って、目につく情報がよりどりみどりで、隣にいる人と話す話題ができやすいと思う。だから楽しい。茶碗が置いているだけで、そっから曜変天目茶碗の話へ派生して30分は話せますからね。曜変天目茶碗は博物館で厳重なガラスケースに閉じ込められているべきではない、茶碗は茶碗らしくホカ白飯をよそわれるべきなんだ!!!!!!

ちょっと……つかれてきちゃった(しっとり)

晩飯を、食おう!

無断転載

というわけで、ガパオライスの店に。おいしいですね。ガパオライスってこんなうまいんだ。まあ……しょっぱいぽろぽろの肉、とろとろの卵、ホカ飯、シャキシャキ野菜、だからな……そら、ま、うまいよ。

解散。

……

一日を通して、たくさん歩き、たくさん話した。

やはり人間とおしゃべりするのは楽しいですね(悲しいバケモノ)




・『終末のフール』だぜ!(イギー)

9月上旬。

伊坂幸太郎先生の小説を読んだ!おもれー!読め!

八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃。当初は絶望からパニックに陥った世界も、いまや平穏な小康状態にある。

あらすじ

「明日地球が滅亡します」とかではなく、「8年後に地球が滅亡します」なのが酷い。考えたくね~!8年……8年って、なあ。自暴自棄になるには時間がありすぎるけど、将来のことを考えるには時間がなさすぎる。丁度、夏休みの五分の四ほどが終わっている、このときのおれにはピッタリな小説だった。

特に好きなエピソードは『籠城のビール』と『鋼鉄のウール』です。

オレ、あんま知らなかったんだけどヨ~~、もしかして、伊坂幸太郎って、めちゃ面白い小説をいっぱい書く、めちゃ有名な小説家なのか……?




・Karaoke(動詞)

9月中旬。

「夏休み最後にみんなで遊びませんか」という友人からの呼びかけのもと実行された、夏休み最後の、みんなで遊ぶ機会。カラオケに行った。自分は聞く方が好きなのであまり歌わない。聞くだけで楽しい。能動的に新しい曲を探しに行かないタイプなので、こういうカラオケとかは、新しい曲と出会う貴重な機会だな。

そして、出会った、良い曲:

配信サイトに転がってる曲の再生ボタンを押すのにすらハードルというか敷居というか億劫さが僅かにはあるわけで、それよか「友人が歌ってた」というほうが歌がスッと耳に入ってくる。どれもいい歌だ。

また、『創聖のアクエリオン』とか『追想のディスペア』、『ココロオドル』、『アンインストール』、『熱帯夜』、『閃光』あたりで突如として始まるキモータ共の大合唱に参加するのが、嫌いではない。




・夏の決心

9月中旬。夏休みの五分の四ほどが終わった。この頃になると、いつも同じ心境になる。それが毎回あまりにも似通っているものだから、自分の中ではもう「そういう年中行事」みたくなっている。

夏休みはやっぱり短い(OOESNR)

というわけで、8月上旬から始まり、50日間近くあった夏休み。極めて無限に近いと思っていたが、ついに終わりが見え始める。夏休みは残り2週間……そんな時期。

いっつもこうだ、小学生の頃から変わらない。2週間って、別に全然短くない。「2週間の休暇」ってなると万々歳でしかないはずなんだ、ホントは。……でも「そろそろ終わりが見えてきた」というだけで、途端にどうでもよくなってしまう。こうなるともう素直に夏休みを楽しめない。楽しいことをしているときも、「でもどうせそろそろ夏休みは終わって下らない日常に回帰してしまうのだ」という考えが脳みそをカユくするのだ。


 なぜ。

……

……なぜか?
いや、答えは分かっている。大げさにいうと、「今さら世界は変えられない」と分かってしまうからである。
……
夏休みはじまりたての、極めて無限に近い時間が残っているときは、なんでもできる気がしている。していた。だれだって、そうだろう?それこそ、こんなにも…1ヶ月も…50日間も「なにをしてもいい時間」があれば、世界を変えられそうな気がする。
……
でもいつの間にか残り2週間だと?まるで分厚い金の延べ棒のようなバターが、フライパンに落とされた瞬間に、瞬間で溶けてゆくように、膨大に想えた時間が溶けてしまった、いつの間に。もうこんだけしか残ってないじゃないか、などと嘆いているあいだも溶けてゆく。というか嘆き始めたときから溶ける速度がグンと上がった気がする。
……
確かに「退屈な時間」よりも「楽しい時間」の方が過ぎるのが速いかもしれない。しかし真に速い時間、「楽しい時間」よりもずっと過ぎるのが速い時間、それは「もう過ぎないでくれ」と願っている時間である。
……
ここまでくると残された2週間など、無いも同然である。無いも同然のくせに、そこからさらにみるみる無くなっていくし、こんな短い残された時間では世界は変えられそうにない。世界が変えられないんなら、なにをしてもなにをしなくても、同じだ。寝よう。


……
…………

そうならないための対策が一つだけある。と思っている。それは、「思い出を抱える」ことである。思い出を思い浮かべれば、いつだってあの頃へ。劇場版ドラえもんでも、日常に帰ってきたのび太はそうしている。日常に帰ってきたのび太に、ちょっとしたヤなことが降り注いでも、のび太はこの前の冒険を思い出して「もうちょっと頑張ろう」と思えている。あれだ。

そうだ、おれだって、それなりに充実した夏休みの思い出がある。夏休みが終わって、大学が始まって、授業がつまらないときには、夏休みの楽しかった思い出を思い出せばいい。ああ……楽しかったな「文化祭」「古本祭り」「和歌山旅行」「文学フリマ」「カラオケ」。だから日常が退屈に感じたときには、それらを思い出せば……………………いや、足りない。無論それらは100点満点の思い出だが、追憶すべき「あの夏」とするにはいささか夏らしさに欠けているのではないか。

今年もだめだったというわけだ。これまで20回もの夏を経験してきたが、後の人生においてお守りのように握るべき、追憶すべき「あの夏」は未だ経験したことが無いというわけだ。社会へ出れば夏休みは無いようだし、「あの夏」は学生時代に完成を急ぐべきだろう、つまり、あと2~3年以内に。

というわけで、次の夏には、「あの夏」と辞書を引いたときに例文に出てくるような大大大冒険をしなければならない。いや、する。これが、おれの、「夏の決心」だ。

具体的プラン:

8月上旬
 ‣謎の少女に出会う
 ‣因習村の禁忌に触れる
 ‣タイムリープをする タイムリープから抜け出す
8月中旬
 ‣流星群の降る夜 不思議な物体の飛来を目撃する
 ‣異世界への扉を見つける
8月下旬
 ‣海辺で不思議な手紙の入った瓶を拾う
 ‣OZでラブマシーンから世界を守る
9月
 ‣こんなとこに神社なんてあったっけ? 入ってみるとそこには忘れられた神がいる
 ‣時間の止まった街に迷い込んでしまう
 ‣あの入道雲の先に何があるのかを知ってしまう
 ‣この夏の出来事は全てがバラバラのように見えて実は全て繋がっているひとつの冒険だったのだと気づく
1週間後
 ‣そんな冒険がまるで無かったようにタイクツな日常に帰って来てしまう。まるで大切な何かを得てその途中他の大切な何かを失ったような顔をしている。「何かあった?」て?いや きっと 何があったか言っても信じてくれないよ……わ わかったわかった!はあ じゃあ話すよ この夏 何があったか ね……
10年後
 ‣たまに「あの夏」の出来事は全部ウソだったんじゃないかと思うときがある。でもあそこに飾られた色ボケした写真は…この棚に仕舞ってある“あの時”から止まった時計は…この手に握ってる“あの子”のくれた小さな石は…「あの夏」があった証明に他ならない

……
……
次の夏はこんな感じで頼みます。




・『夏と花火と私の死体』を読んだ

9月中旬。

コワオモロ。登場人物の倫理観が終わり散らかしててそこが一番怖い。この集英社文庫版の爽やかそうな表紙に騙されるな。




・『サマータイムレンダ』をフカンしろ

9月下旬。

フカンしろ……フカンしろ……

『サマータイムレンダ』なるアニメを見ました。

8月に和歌山旅行で友ヶ島に行ってきたんですけど、それはこのアニメの聖地でもあったらしく。なんなら友ヶ島観光は、このアニメが好きな友人の聖地巡礼の意味もありました。その流れでおすすめされたので、見ました。

おもしろかったです。

夏っぽくていいわ~ん。死に戻り系のループモノだけど、一回一回の死にめちゃくちゃ重みがあっていい。そして、その重さを理解した上で、必要な場面でスパっと「死」を選べる主人公らの決断力・覚悟もかっこいいわ~ん。

また夏のループモノなのだけど、「終わらない夏」というよりは「始まらない夏」という感じがする。終わらない夏からの脱出もいいけど、始まらない夏を動かすというのもエモ!でいいわ~ん。

「ローゼンクランツ ギルデンスターン 暴れなさい 爆弾みたいに 静かにね」

かっこいい。




・DIYって、どうしてくれんだよこんな素晴らしいアニメに出会ったのに・いつのまにかハイおしまいハイおわかれだなんて・ヤだよ俺は

9月下旬。

『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』なるアニメを見る。見てしまう。

女子高生がDIYするアニメ。

なんも言うことは無い。1クールで終わる、日常系のアニメである。ただ、ただただ悲しい。彼女たちと出会えるのはたった12話分しかないということだ。この12話の中で、視聴者はどうしようもなく彼女たちのことが好きになってしまうようになっている。その例にもれず、私もこのたった12話分で彼女たちのことがどうしようもなく好きになってしまった。それ自体は素晴らしいことである。素晴らしくないのは12話しか無いということ。どんなに彼女たちのことが好きになろうと、12話目より向こうは存在しないのだから、「もっと彼女たちの日々を見たい」と願っても現状はどうしようもない。

いや、アニメ自体はこれ以上なくきれいに締められている。これ以上ないフィナーレ。これ以上ない完結。でも、そのこと承知で、もっとあなたたちの“日々”が見たいんだ。他愛のない会話が交わされるところを、そのくんにゃりとした体が動くところを、俺に向けられたわけではない笑顔をほころばせるところを、ただ見せて欲しい。見るだけでいいんだ。こんなに好いているのだ。見るくらい、どうか。どうにか、ならないだろうか。

否、ならない。なぜならこれはアニメ作品であるから。制作され用意された以上の物語は存在しない。無いものは見れない。だからやり場のない喪失感を抱えるしかできない。このことは、アニメ、特に日常系アニメの絶対的ルールである。アニメと視聴者が交わした契約である。日常系アニメは一時の癒しを与えてくれるが、代わりに、視聴者は残りの生が終わるまで長引く喪失感を受け取らなければならない。

でもそれだっておかしな話だ。出会い、好きになり、「もっと見たいよ」と思った頃には、「もう見せれる続きがないよ」と追い返されるのだから。

Dアニメストアでは全話を視聴し終えたアニメには「COMPLETE」と表示される。英弱なもれにも分かる簡単な英単語で、「完了した」とかそれに準ずる意味がある。……ちがうだろ。「完了」じゃ、ないだろ。まだ。最終話が終わっても、彼女たちの人生は、彼女たちの住む世界は、続いてるだろ。「完了」じゃないよ。

別れるために、出会ったわけじゃ、ないよ、ぼくは。

…………なんでおれだけこんな苦しまにゃならんのだ。お前も苦しめよ、そこのお前も、だよ。さっさとこのアニメを視聴しろよ。で、俺と同じ喪失感を味わえよ。二期を願う声を張り上げろよ、俺の隣に立って。




・『らんだむダンジョン』を、さ、

おれはした。多くは語らない……というより、多くを語る、別の機会を設けたい。そのあかつきには、n万文字は語ってみせようぞ。

「ありがとう」……それしか言葉が見つからない……




・9月買った本 運命の再会

古本屋行き行き委員会

古本を買うことで出版業界を困らせよう!!

……

なんか足んねえよなあ?

うお!

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

で、出た!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ステーキ!
世界一の牛肉を探す旅

これは僕が大学1年生の頃に大学図書館で借りた万の書物の中で最も面白かった本、『ステーキ!世界一の牛肉を探す旅』ではないですか!こんな、町の小さな古本屋で、こんなところで再会するとは!

知られざる美味を追い求め、一人の男が旅に出た―
米国量産牛、ラスコー壁画の野生牛、アンガスに松阪などなど、七か国を巡り総重量四十五kgを平らげ、牧場主、三つ星シェフ、科学者らに取材。品種の違いから最良の焼き方までとことん調査するも飽きたらず、自分で牛を飼ってみた!餌は?肥育期間は?熟成は?飽くなき探究心の行き着く先は!?考古学、栄養学、化学、文化人類学…人と牛との関わりを多角的に解き明かすユニークな体験記。

あらすじ

キミはもう手に入れたか!?

超超超おすすめ。

読もう。




・9月のその他

 なにも、どっか出かけたとか、こういう本・アニメ見たとか、それだけが思い出でもないでしょう。特筆するまでもない思い出というものがあるわけですよ。YouTubeでこういう動画見てた、程度のものがね。

・パック開封デスマッチ
 愛の戦士さんの動画シリーズ。久々に見た。見てる。おもれ~~。

・君にほらLOVEずっきゅん
 相対性理論を初音ミクにカバーさせてるの、すきでさあ!ここ最近また聞き始めた。kimochi~~ですヨ~~!俺もそろそろCVを、やくしまるえつこか初音ミクにしてえよなあ~~。

・タイガキングダム
 おもろチャンネル。




●10月上旬



・夏休み終了のお知らせ

10月1日からガッコーの開始や!

だまれ!

ただ希望がないわけでもないのだよ(グフフ……)。そう、大学1年生の頃はハナクソほどもつまんなかった大学機関、その理由は主に通学にある。長い通学時間、何をトチ狂ったのか中途半端に向上心のあった私は、TOEIC対策の英単語帳を読むことにしていたのです。結果としてはこれが間違っていた。「なぜ今からつまらんガッコーに向かうのに、その合間までつまらん勉強をせなあかんのや。」それでは当然大学はつまらないに決まっている。反省し、大学2年生からは通学時間は読書に充てるようにしたのです。途端に、通学時間の苦痛は取り払われ、通学に伴う大学はそこまで苦ではなくなったのです。

大学はたのしいのです!通学・休憩時間は小説がぼくを物語の世界へ連れてってくれるし、昼ごはんのときはネットラジオがぼくを笑わせてくれてにぎやかなのです!

だから、なにも、哀しいことは、ないのですよ




・『変な家2』を読んだ

友人から借りた。

おもしろかた。よう思いつくわ~~。水車小屋の話がおもろでしたね。




・『陽気なギャングが地球を回す』を回し読む

友人から借りた。

今、伊坂幸太郎がアツい!みんな知らないと思うけど、伊坂幸太郎ってひとの作品がとっても面白いですよ!

いや小説ってここまで面白いものか。相当だぞ、これ。続編も借りよ。




・『マリアビートル』を読んだ

友人から借りた。

ばけもんおもろい。

はよ続編も借りよ。

伊坂幸太郎の「殺し屋」シリーズの2作目にあたり、同一主人公というわけではないけど、1作目の『グラスホッパー』と同じ世界観・舞台設定の話。

殺し屋と殺し屋とその他ヤバ人間たちのバトル!強さランキングとか考えちゃうよな。蝉とてんとう虫が戦ったらどうなるだろうとか、鯨の能力って対複数の檸檬・蜜柑だと勝てるのか、とか。





以上!

やはり大学は別に特段、苦というわけでもない。通学時に勉強せず読書するようにするだけで。残りの10月も頑張らないでいきましょう!

晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だッ アッ アッ


☟これは前編