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【怪談】おうちルール


 シャバナイと出会ったのは、一度しか行っていないサークルの、まさにその一度のときだった。



 つまり去年の春であり、大学一年目の春である。総合棟一階の大階段すぐ下で新入生たちを待ち受ける先輩方の勧誘はもう遠目から見る分にも暑苦しく、脂汗の染みたビラを受け取る気にはなれず、無料で肉が食えるBBQも魅力的に感じず、ようはそうした陽キャノリのサークルに馴染める気がしなかった。

 しかし受験期に見ていたなんJ大学生スレによると、「大学生はサークルに入るかなんなりして人と関わらないと終わる」、らしくて、何かしらのサークルには入らないといけないことは分かっていた。


 できればおとなしめのサークルがいい。例えば、Twitterで見かけた、「キャンパス間バス同好会」など。「キャンパス間をつなぐバス 通称再履バスを愛でる」という活動内容は意味不明だが、月に数回ゆるく集まるだけで、飲み会もなさそうだし、会費も無い。
 とはいえそうしたいわゆる「マイナーサークル」はどうも、どこも部員が少ないらしく、現所属部員たちもどこかとの兼部が基本らしい。そんなとき、ふと掲示板に貼られてあった手書きのビラが目に入った のが始まりだったと記憶している。青とオレンジのマーカーが多用されており、触るとペン特有のインクの感触がした。驚いたことに、手書きでビラを作っているようである。中身を見てみると、部員も多そうだし、かといってはっちゃけるような活動内容でもない。そこに行ってみることにした。



 つまり、「おさんぽサークル」に。



 今度の土曜日に一回集まってみようという機会があったので、まずはそこに参加して様子を見てみることにした。会費も無料なので、合わなければすぐ抜ければいい。
 事前連絡も不要らしい。メアドを渡したりや名簿登録をしないでいいのも、好感が持てた。それなりに楽しみに、土曜日を待ったおぼえがある。

 当日、近くの商店街入口に集合したのは6人で、内、俺を含める2人が新入生とのことだった。新入生の片割れが、シャバナイである。ぱっと見の印象は、一般的な大学生。といっても自分より社交的なのはなんとなく分かった。

 商店街の店の多くが開く午前10時まで少しあり、近くの公園で、会話を交わしたりして軽く交流しようということになった。先輩方からの質問も多かったが、次第に、自然に、同級生であるシャバナイとの会話にシフトした。当然だがシャバナイはのちに俺が付けたあだ名で、初対面のこの時は本名 上の名前に「くん」を付けて呼び合った。あまり会話内容は覚えていないが、それなりに気は合い LINE交換までいった。



 10時に近づくにつれ商店街に活気が出てくるのが分かり、ついに10時になった。商店街は大きな屋根に覆われており、直射日光が防がれたことで歩きやすかった。「だから最初の散歩には最適なんだ」と先輩が言って、「なるほど」と思った。

 散歩はそれなりに楽しく、「ここでならやっていけるかも」と思い始めてくる。個人経営の古本屋で、シャバナイと好きな漫画の話になって、シャバナイともどんどん仲良くなっているのを実感した。
 ただ、「昼食にしよう」という時間になって、先輩たちはそこらへんの松屋に入ろうとしたときにシャバナイがそれを拒否した。そんなに語気は強くないのだが、「チェーン店ではなく せっかくならここらでおすすめの飯屋がいい」という旨のことを言った。結局、もう少し歩いて夫婦でやってる定食屋に入った。今思えば、「シャバナイのシャバナイたるゆえんだ」というカンジだ。

 このとき定食屋で何定食を頼んだかも覚えていない。だが、それから後は忘れるわけもない。昼食の後、俺たちが「散歩」の先に向かったのは、商店街を抜けた先にあるベージュ色の建物だった。中に入ると、そこには笑顔の老人たちが規則正しく椅子に着いていた。



 そこは、有料老人ホームらしかった。「おさんぽサークル」は社会に貢献する活動も行うのだろうか。別に行っても不思議ではないが、正直社会に貢献する活動に俺は興味がなかった。だが、たまにこうして徳を積む活動があっても就活の際に使えるかもしれない。よし決めた、大学4年間はこの「おさんぽサークル」と共にすることにしよう。

 その決意は、すぐ崩れることになる。老人たちの話をだらだらと聞いた後しばらくして、施設を出て解散することとなった。長い散歩だったが、おおむね満足できる日だったと思っていると、施設から出る際、最初来たときにはなかった看板が、門の外に立てられていることに気付いた。

 ………………思い返したら、老人たちの話も、““そういう”” 内容が多かった。ようは、そこは、新興宗教の施設だった。



「おさんぽサークル」は、大学に巣食う宗教勧誘集団だったのだ。




 今となっても笑い話にはならない。帰宅後 パソコンを開いて宗教名を検索窓に打ち込むと、出る結果に良いものがない。

 すぐにサークルのグループLINEを抜け、先輩方をブロックした。おかげで、入学後に増えた「友だち」欄が振り出しに戻ってしまった。……いや、一人だけ増えたまま、か。そう、シャバナイがいた。


 我々は同胞を求めて魔窟に迷い込んだ無知で無垢で哀れな一回生である点において全く同じ立場、つまり被害者だ。そのよしみで、シャバナイにも、「おさんぽサークル」の正体をLINEで教えてやることにした。

 検索して出たサイトのリンクをいくつか送り、「あのサークル どうも宗教勧誘系のとこで結構ヤバいらしいよ。今日行った施設もソレ関係らしい。」といった旨のメッセージを送り、だから自分はサークルから抜けることにする といった旨のメッセージも送った。

「もし シャバナイ……コイツが既に宗教の毒に侵され済みならば、コイツもブロックせねばならない」と静かに誓い、LINEを閉じた。


……


 どうもその後 自分は寝てしまったらしく、次に目を覚ましたのは午後9時くらいだった、と思う。だるい体を起こし、遅めの晩飯を作った。そう、俺は入学を機に独り暮らしを始めたのだった。不出来な野菜炒めを箸で突きながら左手でスマホを操作、LINEを見ると、シャバナイからメッセージが来ていた。一言一句覚えているわけではないが、要約すると「マジかーじゃあオレもあのサークル辞めるかな~」みたいなことだ。

 続けて、「じゃあ今度ボードゲーム研究会ってとこに仮入部してみようか考えてんねんけど、一緒にどう?」とシャバナイから来た。断る理由もないので、そうすることにした。一週間後、「ボードゲーム研究会」の部室にて再開した俺たちは、こうして、友人になった。



 あいつは生物系の理系学部に属しており、年中忙しそうにしていたが、比較的早くに授業が終わる木曜日はよく部室に顔を出し、そのまま晩飯を一緒に食べることも多かった。
 このとき、俺が安易にチェーン店や定番のラーメン屋に行こうとすると、シャバナイはよく「それはシャバいわ」と言って、別のところを提案した。どうも食にうるさく、特にゆっくりできる木曜日の夜は、飯に妥協したくないらしい。ただあまりにどの飯屋を俺が提案しても「それはシャバいわ」で一蹴するものだから、あるとき「じゃあお前がシャバくない飯屋に連れてってくれ」と言うと、実際に美味い飯屋を教えてくれて一緒に食べに行った。以来、毎回木曜夜、シャバナイの選ぶシャバくない飯屋に二人で食いに行った。これが、シャバナイの、シャバナイというあだ名の由来である。


今日は、それから丁度一年経ったくらいだ。


 生物系の学徒はこうも忙しいものなのか、学部2回生にしてシャバナイは学校に泊まり込みの実験をすることになった。暇な文系学生とはずいぶん違う。
 俺は、一晩 家を空けることになってしまったシャバナイから頼まれごとをされてしまい、今 合鍵を握りながらあいつの家に向かっている。シャバナイもまたアパートでの独り暮らしらしいのは知っていたが、家に訪れたのは初めてだった。



 別に友人の家に入りたがる性分でもないし、特に気にしたことはなかった。「そういえばシャバナイの家に来るのは初めてだな」とここで初めて気づく。

 …………しかし……今回の「頼み事」は違和感を覚えるというか、聞いただけで奇妙なカンジのものだった。シャバナイの、俺への頼み事は「花に水をやってほしい」だ。……家を一晩空けるということで、「ペットを預かってほしい」なら分かるが、「花に水をやってほしい」とは一体どういうことなのか。

 いくら大切に育てている花があるとしても、「晩に水をやるのを欠かせてはならない」なんてことがあるのだろうか。朝、家を出る前に水をやれば、それでいいではないか。



 不思議に思いながら、俺はGoogleマップで共有されたところまでやって来た。ここの四階……402がシャバナイの住処ということだ。

いつの間にか、空が灰をまき散らしたように曇っていることに、今、ふと気づいた。



 402号室。貰った合鍵は、当然だがスッと挿し込まれた。



そのときシャバナイの顔がなぜか思い浮かんだ。

 そいうえば、あいつは俺にこの奇妙な頼み事をするときも、合鍵を渡すときも、どうも渋い顔をしていた。できれば誰にも頼みたくないものだったらしく、というかどうも、本当は誰も家に入れたくないようだ。今日みたいな用でもなければ俺を家に招くことは永劫なかっただろう。……そう思うと、少しムカついた。別に俺だってシャバナイの家に入りたかったわけではないが、友人なら家に誘ってくれてもよさそうなものだ。

…………なにか、見られたくないモンでも、あんのか?



 かちゃ。軽快に音を立ててその小綺麗なドアが開いた。俺の住むボロアパートとは大違い────な、なんだこのにおい……!ぐぁ、あ、鼻が潰れる!!

 扉を開いた瞬間、強烈な、「かおり」が俺の鼻腔を襲った。……ようやく慣れてきた俺の鼻が、香りの正体に気付く。それは、甘い香りだった。トイレに置いている、ラベンダーとかの芳香剤。あれを100個並べたような、強烈でわざとらしい、甘い香りだ!

 ……俺がよく分からないだけで、アロマとかなのかもしれない。シャバナイにそういう趣味があってもおかしくはない。……だとしたら申し訳ないが、こういう趣味は俺とは合いそうにない。


 いいから、さっさと頼まれごとを済ますか。パチ、とスイッチを押すと瞬間に、真っ暗だった部屋にあかりが灯った。玄関と廊下の全貌が明らかになる。


 まさか、コレか…?玄関入ってすぐ、靴をしまう棚の上に、植木鉢とそれに植わっている……枯れかけの白い花が、あった。その隣に、ゾウさん型のじょうろ。まさか、俺への頼み事というのは、これに水をやってくれということなのか。


 とりあえず じょうろを持って、その枯れかけの白い花に水をそそいだ。きっとこの花が枯れてゆくのは、水のやり過ぎのためだと思った。


 それにしても、さっきからくさい!!薬品っぽい芳香剤のニオイが、鼻の、粘膜にこびりつくようだ!!


 くらくらするほどだ。人間がここで毎日過ごしているとは、とても思えない。ひたいから噴く汗をぬぐいながら、ちらりと周囲を見ると、ノートがあった。靴棚の上、植木鉢の隣のノッペリとした模様のようなものに見えていたそれは、ノートだった。薄いピンク色の大学ノート。題も所持者名も書いてない。



 頼まれごと……水やりはもう済ませたのだし、この家から去ってしまうべきだと思えた。いつまでも、言ってしまえば「他人の家」をうろちょろするのも良くない。だけど、そのピンクのノートが気になった。



なんも書いてない表紙を、めくることにした。めくる。


『夕方の花の水やりを欠いてはならない』


そう書いてあった。
それだけが、表紙の次のページの、一行目に書かれてあった。


 ……いや、意味不明だ。なに?これは。なんで、花の水やりを、夕方に?
 この白い花が、夕に水やりする必要のある特殊な花かなんか のようには見えない。

 分からないうちに、次のページをめくってしまった。


『白い靴を玄関に置いてはならない』


 今度は少し大きな文字で書かれていた。意味不明だ。……「まさか」と思って靴棚を開けると、黒や紺ばかりで、確かに白い靴は無い。……ちょっと気になってしまい、俺が今履いている靴は何色だったか、目線を落として確認した。……良かった、黒だ。なにが良かったかは分からないが、そう思ってしまった。

 次のページ。


『スリッパを投げてはならない』


なんだか急に、幼稚な内容になった。まるで子供に言い聞かせるような内容だ。スリッパ投げちゃダメって、当たり前だろ。

……ここまで、全て、1ページに一行ずつしか書かれていない。


『チラシを6枚以上貯めてはならない』


『かぼちゃを暗所に置いてはならない』


『床に油を撒いてはならない』


『殺虫剤を冷蔵庫の半径2メートル以内に近づけてはならない』


『緑色の包装紙をしたトイレットペーパーは置いてはならない』


『縦に皿を積んではならない』


 全て意味は分からないが、分かった。ここに書いてあることは、この家の、「おうちルール」だ。ほら友達の家によって「夜10時以降は電話してはいけない」とかあっただろう。この奇妙なルールたちも、どうも同様らしい。……しかし……まさかシャバナイは、毎日こんな妙ちくりんなルールを家で守っているのか……。


『口にものを含んだままトイレの電気をつけてはならない』


『東の部屋で寝てはならない』


『午前3時59分に窓の外を見てはならない』


 なんとなく分かったことが、もうひとつある。このノートに書かれているルールは、後ろのページほど、奥の部屋のルールのようだ。だから最初のルールが、玄関に関することだったのか。

 改めて、部屋を見渡す。意図の分からないものがいくらか散らばっているのだが、それが「おうちルール」と関係していることはもう推測できた。
 西の部屋には、絨毯の上に本が3冊落ちている。廊下には、ガムテープが張られて星型を描いている。たぶん、これらの全てが、「おうちルール」と関係しているのだろう。

 北の部屋……最も奥の部屋の、扉が開いている。近づくと、ラベンダーの芳香剤のにおいがグンと強くなった。


 北の部屋に関するルールなら、ノートのページも後ろの方だろう。そう考えてばらばらとページをめくると、おどろいたことに全てのページにルールが載せられてあった。1ページ、ひとつずつ。

 じゃあいっそ最後のページまで飛ばそうと、大きくノートの側面を掴んで、ガッと最後のページをひろげる。



『一番北の部屋を空けてはいけない』



 一番大きな文字に、少したじろぐ。が、すぐに冷静が戻ってくる。この文章に向き合ってみる。『一番北の部屋を空けてはいけない』……この号室の一番北の部屋といえば、やはり一番奥の部屋だ。にしても、「空けて」?「開けて」ならまだ分かるが、「空けて」は誤字ではないのか。

 というか、北の部屋……扉、開いてるし。


 なんで今気づいたんだろう。ラベンダーの強烈なかおりは、北の部屋から生まれているみたいだ。


『一番北の部屋を空けてはいけない』


 「開けて」も別によくて、やはり「空けて」はダメなのか。でも、俺が来るさっきまで、そもそも家に人がいなかったんだから、部屋は空いていることになる。

 この奇妙な矛盾が、妙に気になって、俺は一歩北の部屋に近づいた。ツンとラベンダーのかおりが強くなる。それに混じって、別のにおいがあるのに気づいた。

 まるで、このニオイを隠すために、ラベンダーをかおらせているみたいではないか。


『一番北の部屋を空けてはいけない』


 ニオイを我慢しながら、身を乗り出して、北の部屋をぐるりと見渡してみた。芳香剤もアロマも、どこにも見当たらない。学習机、椅子、寝具に本棚……いたって普通だ。

 胸を撫で下ろす自分がいた。よかった。
……もし『一番北の部屋を空けてはいけない』が、「一番北の部屋には常に人が居ないといけない」という意味ならば、もしかするとこの部屋に、俺以外のだれかが居るのかと思った。今この時も。


『一番北の部屋を空けてはいけない』


……あれ?おかしいな。だとすると、シャバナイは今、「おうちルール」を破っていることになる。

 でも、そもそもこれは どうやっても守れないルールなのだから。……常に部屋を空けないなんて、無理なのだ。


『一番北の部屋を空けてはいけない』



 もう、この奇妙な家から出るとしよう。そんで、次 シャバナイに会った時、この変な「おうちルール」について問い詰めてやる。

 帰り道を確認するために、地図アプリを開く。右上に、小さなコンパスマークが表示されている。…………それは……正十字を示していなかった。少し斜めっている。そうか、あの、さっきの部屋は、厳密には「北の部屋」ではなく、「北北東の部屋」だったらしい。

 「北北東の部屋」の左隣には、壁を隔てて、風呂場があった。だから、方角の微妙なズレを考慮すれば、この402号室において、最も北に近い部屋は…………



『一番北の部屋を空けてはいけない』



 風呂場だ。


 換気扇がつけっぱなしになっている。


 「北北東の部屋」から出て、風呂場に近づくと、ラベンダーではない方のニオイが、強くなった。


 パチ。電気をつける。


 押すタイプの扉を開ける。











 そして、俺はシャバナイが、「おうちルール」を決して破ってはないことを知った。彼は、厳格にルールを守っている。
 『一番北の部屋を空けてはならない』。「一番北の部屋には常に人間が居なくてはならない」。


 だから、  つまり、  どうやら、  どうも、  その、  人間が居ればそれでいいわけで、  その人間は、  ルールによれば、 別に、
…………生きているものでなくても、構わないらしい