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2024/10/20 13:00公演【セツアンの善人】

過去に『ある馬の物語』という舞台を観劇した。人間の内面や特徴を細かく言語化し表現されている印象があり、今までムズムズ何となく抱いていた感覚を的確に言い当ててくれるそんな作品だった。その演出を担当されている白井晃さんが本作品の演出を担当され、かつ葵わかなさん主演というのであれば見ない訳にはいかないと思い観劇した。あらすじは以下のような内容。

善人を探し出すという目的でアジアの都市とおぼしきセツアンの貧民窟に降り立った3人の神様たち(ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之)は、水売りのワン(渡部豪太)に一夜の宿を貸してほしいと頼む。ワンは街中を走り回って神様を泊めてくれる家を探したが、その日暮らしの街の人々は、そんな余裕はないと断る。ようやく部屋を提供したのは、貧しい娼婦シェン・テ(葵わかな)だった。その心根に感動した神様たちは彼女を善人と認め、大金を与えて去っていった。それを元手にシェン・テは娼婦を辞めてタバコ屋を始めるが、店には知人たちが居座り始め、元来お人好しの彼女は彼らの世話までやくことになってしまう。ある日、シェン・テは、首を括ろうとしていたヤン・スン(木村達成)という失業中の元パイロットの青年を助け、彼に一目惚れをしてしまう。その日からシェン・テはヤンが復職できるように奔走し、金銭的援助もしはじめるのだが、その一方で、人助けを続けることに疲れ始めていた彼女は、冷酷にビジネスに徹する架空の従兄、シュイ・タ(葵わかな・二役)を作り出し、自らその従兄に変装をして、邪魔者を一掃するという計画を思いつく……

公式HP

まずはシェン・テとシュイ・タで存在意義が異なるような気がした。短い単語で表現するなら全体主義と個人主義。

全体主義で表現するシェン・テは神から善人判定されるだけあり、自己犠牲感が強く自分より他人の幸福のため行動を起こす特性がある。その結果、国という集団全体として均衡が保たれる全体主義の視点では重要なポジションである。神という俯瞰した視点からは全体がまとまっている状態で保たれているのが良いに決まっている。要所々々で神はシェン・テのことを気にかけているがそれは本当に彼女のことを気にかけているのだろうか。
個人主義的な考え方からすると彼女の行動・考え方では「彼女の」幸せな結末へ向かうことは難しいだろう。
劇中印象的な言葉があった、一人の神が「善人は一人で十分である」と発言したのだ。実際は1国家に1人の善人で国が円滑に運営されるのかと思うと少々少ない気もするが、ストレートにそう表現しているのではなく、1つの集団に1人の善人がいることで集団としての幸せな結末を迎えることができるよね。と表現しているのではないか。

自分の答えはこうだ。「彼女の」幸せな結末に至るには善人にすがり自分のための行動に徹することだ。シュイ・タは個人主義的な考えのため自分の幸せに近いがそれでは彼女は幸せになれない。善人に出会わなくてはならないのだ。そしてそれは神から善人判定されるほどのシェン・テでさえ逃げ出したくなる程の自己犠牲を払わなくてはならない。簡単に現れるようなものではない。

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