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神田川の秘密30 肥後細川庭園は一度は行ってみたい
三十一 肥後細川庭園
面影橋に戻って、神田川左岸を下る。三島橋、仲之橋と進むと、ここで工事通行止めとなって遊歩道を歩くことはできなくなった。一旦新目白通りに出て、都電の始発駅、早稲田の乗り場を見に行った。
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乗り物で一番近い駅は都電・早稲田駅
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早稲田駅の裏手が早稲田大学になる。高校の同級生3人が試験を突破した(教育学部、文学部、商学部)が、川旅老人は不合格。早稲田大学の近くに来ると潜んでいた劣等感が急に頭をもたげてくる。それを飲み込んで、豊橋の欄干から上流を眺め、上総層露出群を見届けた。これは東京の基盤、岩盤層にあたると「神田川再発見」に紹介されていた。上総層の上に何層かが重なり、最上層部が関東ローム層となるそうだ。
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写真の右手に神田川が微かに見える
この辺りは自分の時間を持て余している老人にはもってこいの散策地区で、豊橋から豊川稲荷神社の角まで行って、肥後細川庭園に入った。次の駒塚橋まで遊歩道を歩き、水神社の角を100メートルほど戻って南口から庭園内に入る順路もあるが、正面口から入るのがお勧めだ。
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武家屋敷だったなごりなのか、正門を入ると武者だまりのような小さなスペースがあって、庭園の案内板が立っている。これを見て庭園内の散策順路を決めるのが正解だろう。順路が決まったら、中門から入場する。入場料は無料で、ここは以前、新江戸川公園という名前だった。平成29(2017)年3月、現在の肥後細川庭園と改名されている。
この公園の所有者は変転している。江戸時代中期に旗本の邸地となって以来、清水家の下屋敷となり、のちには一橋家の下屋敷、幕末に肥後熊本の細川家の下屋敷になった。文京区が発行しているパンフレットによると、「第二次大戦後、数度にわたって所有者が変わり、その後昭和36(1975)年、都立公園として開園して昭和50(1975)年に文京区に移管された」となっている。所有者が変わる度に金銭が動いたのだろうが、一体いくらだったのだろう。いつか調べてみたい。