80の壁をどう乗り越えるか、タイには助け合いの精神が生き残っている。日本は?
タイのボランティア活動のことは先にレポートしました。今回の旅行もそれに関係していますが、残る日数も1週間となったので以前バンコクで一緒に働いていた田舎の友人宅を訪問しました。仕事は私より先に辞めて婿入りし、今では夫婦で小さなレストランを経営しています。お客さんが多いようには見えません。子供は二人いて、二人とも結婚して家を出ていますが、暮らしは質素です。それでも交通事故で亡くなった弟の子供を引き受け、さらに地元で両親を無くした子を引きとって世話をしています。部屋が4室あるので空き部屋を無料で使わせてくれます。
この小さなお店は朝8時ごろから開いていますが、物売りのオバサンが小さな袋に入った野菜を売りにきます。大抵はカナーという(ケールのような野菜)とか香草(パクチーの束やノンビルなど)を持ってくるのですが、来ると必ず買ってあげています。二人、三人と来ますが断りません。代金は20バーツ(80円)くらいですね。
昨日は何も持たずに来た老婦人がいて、一言・二言会話をした後、10バーツを渡していました。物乞いではなさそうなこざっぱりした服装でしたから、近所のオバサンかと思いましたが、売るものがない人も時々顔を出すそうです。僅かなお金だけど、訪ねて来れば渡すという考えには驚きがありました。質素な暮らしをしている人がより質素な暮らしの人を助けている・・・日本ではあまり見ることのない光景を見ました。
逆に「あなたは貧しくなる自由がある。でも貧しくならない自由もある。何事も、自分で決めるということです」「諦めて成功する努力を止めてしまえば全ては終わり」・・こういうことを公然と言ってのけるリーダーが日本にはいます。この人は経済評論家などから、日本の国力を衰退させた張本人だと言われています。その人が提案した法律が制定され、日本は非正規労働者の国になり、消費税が上がり、国民が貧しくなったと手厳しい意見も聞かれます。
この人、恥という思想を持たない人らしく、大阪府のコロナ関連の仕事を請け負い、それを下請けに丸投げして、行政には嘘の数字を提出。10億円以上を不正受給した会社に関係していました。この度それがバレ、返還を迫られているとのことです。情けない限りですが、これって自治体を相手にした「詐欺」ではないのかと疑いを持ちます。
しかし、こういう人に限って他人(特に弱い人)には厳しい態度をとりがちです。貧しくなったのは「その人が努力を怠ったためか、もしくは貧しくなる自由を自分で選んだ結果」だから結果に対して「自己責任」と言うでしょうね。裏腹に「自分は努力したから成功した(=金持ちになった)」「成功者には間違いはない」と言いたいのでしょうか。
こういう人が国のリーダーなら、国力(国民の力)が衰退していくのも道理だと思われます。彼に言わせれば、老人、子供、シングルマザー、病者などは「貧しいことを選んでいる人たち」だから、結果を受容すべき存在となるのでしょう。シングルマザーと一口に言っても離婚した寡婦に限りません。夫を事故や病気で亡くした人、昔であれば戦争で夫を失った人もいたわけで、一括りにはできないのです。離婚にだって様々な理由があるでしょう。
社会的な弱者やハンディのある人は努力の足りない人と決めつけるのは生きとし生けるものの「多様性」を容認しない考え方ではないかと思います。努力もせずに困窮している人に手を差し伸べるのはむしろ正しくない・・・国のリーダーがそう思っているなら、国の発展はないでしょう。国民同士の助け合いの気持ちが薄れていくのもまた、道理ということになります。
どうも年をとるとは愚痴が多くなります。
しかし一方で、このままでは日本は滅んでしまうという危機意識を持っている人たちがいます。子ども食堂を開設し、フードバンクの運動をし、住居さえなくした人々に手を差し伸べている人たちを知っていますが、そこには人間の優しさを持った人々の姿があり、日本の良心を見る思いです。こういう人たちは老人が住み良い環境を作るのにも熱心で、老人に豊かな老後を過ごして欲しいと思ってくれています。
〈表紙の写真はマドリード・プラダ美術館の中のカフェテリアです〉
〈美術館の庭にある銅像・ベラクレス、ゴヤなど〉