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80の壁をどう乗り切るか、老人が生きやすい国=ジェンダーフリーの国
パタヤの旅行者総体のうち日本人は目立つほどではありません。日本人観光客の遊び場はかなり前からパタヤの隣町、シラチャー界隈に移っています。シラチャーは日系企業に働く日本人の多い街でもあります。パタヤには少ない和食レストランもシラチャーに出れば多くを見かけることができます。
静かなリゾートを楽しみたい旅行者の場合はパタヤ・ビーチを避けて隣接するジョムティエンビーチや、さらにその先のビーチに場所を移しています。街は姿・形を変えながら移り変わっているようです。
老人の街となったパタヤには世界中の老人問題の縮図を見ることができます。年金、余生、パートナー(=貧困、疾病、孤独)のあり様を実際に見ることができるのがパタヤでもあります。
付け加えるなら、タイ人のキャパの大きさを認めざるを得ないということです。街の人々が世界から集まって来る老人を違和感なく受け入れているという事実です。異質なものを排除し、同質性を半ば強要的に求める日本人には、到底及ばない人間的な幅の広さです。
老人が落としてくれるお金が街を潤し、仕事を創造しているという面もあるでしょうが、街に住む人々が外国から来た老人たちを極くごく自然に受け入れています。民族の誇りは立派に持っているけれども、タイ人は子供の頃から国際性を備え、異質なものへの許容力が養われています。こういう面では、日本人はとても真似ができないだろうと思われます。
トシヨリは自分を受け入れてもらえることが嬉しいし、自分の居場所が欲しいのです。「そこにいても良いんだよ」と、「邪魔な存在じゃないよ」と。社会のトータルの中に「老人」も多様性の一部として含まれて良いと思います。
最近、首相の秘書官が「LGBTs見るのも嫌だ」と言って「言語道断」と更迭されましたが、政府の高官がこういう発言をする国は先進国の中にはないだろうと思います。仮に「本音で思っていても口に出してはいけない教養(=人としてのモラル)」の部分です。日本はもはや先進国ではないと思えば、納得できる話なのかもしれませんが、それで良いのかい?何かすっきりしません。G7の中でジェンダーフリーを決めていないのは日本だけというのも、BBCやニューヨークタイムスなどから見ると「世界に向けて恥ずかしい話」になるようです。
こういうことを口にする政府高官は「老人は見るのも嫌だ」と言い出しかねませんね。人を差別する人は自分こそ価値があって、他を無価値とする人が多いように思います。多様性を容認する、自分とは違う他者を認め、他人あっての自分だという価値観が持てない「小児性」の強い傾向があるのではないかと見ます。人間の幅や許容量が狭いのでは?
この点はタイ人に学ぶものが多いと思います。
タイにはミャオ族、モン族、カレン族といった少数民族が多く存在しているし、国中に外国人がいて、ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアと国境を接しています。他国へ歩いて行けるのです。
陸路を相互に行き来していていますが、言語も違っています。国内に仏教徒もいればムスリムもいるし、ヒンデューもいて、生活の習慣がそれぞれ違うし、それぞれの寺院が街の中にあります。島国で外国人と接する機会が少なく、同質性・均質性を求め、異質を排除したがる日本人とは社会の構成が違っています。日本人は学歴は高いけど、教養は低い・・・では国際社会では通用しないと思いますね。
タイはジェンダー・フリーの先進国です。結婚しても旧姓のままの人が多いし、離婚率も高いですね。早い話が息苦しくないのです。老人には共生しやすい人々が多い国だといえます。
〈表紙の写真はローマの外れオリンピアコスの近くのピザ屋〉
〈下の写真はオリンピアコスです〉
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