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神田川・秘密発見の旅 後編30 昌平坂から神田明神へ・・スチャラカちゃん

後編30 昌平坂から神田明神へ・・スチャラカちゃん

 台北市のライオンズクラブから昭和50年に寄贈されたという孔子の銅像を左手に見て、仰高門をくぐって正門から外堀通りに出る。湯島聖堂の塀に沿ってゆるい坂が見えるが、そこが昌平坂。長さにして100メートルもないが一方通行の入り口は中山道(神田明神通り)に繋がっている。

孔子像
台湾からの寄贈

 聖堂の石積み瓦土塀に沿って突き当たりまで行くと、そういう施設がある場所とは思えないのだが、左手角に公衆便所があった。なかなか見栄えのする造りで聖堂の雰囲気に妙にマッチングしていた。用もないが用足しをする。坂の下り口にタクシーが停車していたと思ったら、ドライバーが用足ししていた。細かいことだが、江戸時代の図絵を見ると、昌平坂は昌平橋から湯島聖堂に向かう緩い坂道のことで、今の昌平坂はその脇道だったようだ。

昌平坂を表示する石塔は小さくて見逃してしまうほど
湯島聖堂の堂々たる外壁

 国道17号(中山道)の信号まで瓦土塀に沿って坂を上がり、交差点を渡って反対側に出、戻って坂を少し下ったところに銅張りの大きな鳥居がある。神田明神(神田神社)の大鳥居がそれだ。鳥居のある場所からは鮮やかな朱色に塗られた柱、欄干、梁、垂木の山門が見える。屋根が重厚な銅葺きで、神社ではこれほどの構えを持った山門を滅多に見たことがない。強いて言えば仏教寺院の山門の感じがする。山門の名前は隋神門。総檜、入母屋造り。昭和50(1970)年に再建されている。

鳥居は最近よく見かけるセメントではなく銅ばりだった
奥に見えるのは社殿ではなく、山門
本殿
本殿内部・御祈祷中

 さて、神田明神の紹介はこの程度にして、本殿の左脇に見た礼拝者のことを書いておきたい。本殿中央部は開放的な作りで中は丸見えだった。

 やや広めの土間があって5段の階段を上がると拝殿があり、そこで5名の礼拝者が椅子に座って正面に拝礼していた。拝殿の中の入り口側が立式の土間になっているのは神田明神独特の社殿づくりで、関東大震災後の復興・再建の設計をした内務省神社局角南隆氏のアイデアが生かされていると神田明神は解説している
(崇敬会機関紙第75号)

 拝殿に上がった5人の前には薄青紫の地に円盤型の輪の模様が入った上掛けを着て烏帽子を被った神官が背を45度に折り畳んで何ごとか祈祷をしているようだった。この形はごく普通に見受ける拝礼の光景で珍しくはなかった。
 しかし、拝殿建物の外、左手脇に立つ7人の固まった群像には驚いた。
 かなりショックがあった。

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