神田川・秘密発見の旅 後編45 柳橋を超えるとそこは隅田川河口
後編45 柳橋を越えると、もうすぐ隅田川になる
柳橋は江戸時代から続く船宿群なのだ。
江戸の粋人の遊び場で、夜ごと・昼ごと船が行き交い、お花見、夕涼み、花火見物、柳原での遊興で賑わったそうだ。遊んでいたのは上級武士(高級官僚)や豪商・富裕な町人たちだったろう。下級武士や一般庶民には縁遠い場所だった。しかし、江戸期に生まれた遊びはやがて商人、職人、町人へと広がって、新しい町人文化を生み、浮世絵、黄表紙、瓦版、芝居見物を楽しむ人々が増えていったことも想像できる。
「春の夜や女見返る柳橋」(子規)
左衛門橋の所在は中央区日本橋馬喰町、橋の左岸は台東区浅草橋1丁目。橋の手前は千代田区。柳橋は中央区。
神田川を吉祥寺の井の頭池に始まる旅はわずかに24.5キロでしかないが2年半の月日が流れていた。旅の中心は神田川だったが、脇役はコロナ(Covid-19)だった。神田川の流れるところ、今の世相があり、人々の暮らしがあり、江戸の歴史があった。あと1日か2日でこの度が終わる。
柳橋から両国橋に移動して、隅田川に合流する河口を眺める時が来た。涙のひとつも出るかと思ったが、少し白け気味の自分がそこにいた。週末には大雨が来るという天気予報が出ているが、あちらこちら、雲が途切れて青空が見えていた。難聴のせいで車の行き交う騒音は全く気にならない。難聴者の特権のようなものだね。
神田川を呑み込み、隅田川はますます太って緩やかに流れていた。すぐ上流に総武線の鉄橋が見える。右手は両国の町。左手斜め前は神田川の河口。そこには何のためらいもなく墨田の流れに合流していく神田川の最後の姿があった。
さっき見たばかりの柳橋がどぎつい緑にペイントされていたから、その色が頭に残っている。両国橋へ移動する「隅田川テラス」から神田川の河口を眺めても、柳橋の濃緑色は街に溶け込むことを拒否して、違和感を放っていた。そこだけが浮いていた。
杉並区・高井戸にあったゴミ焼却場の高い煙突のように雲形の図柄で淡い色調なら街に溶け込めるのか・・・? 所詮鉄筋の橋が景観に融合するのは難しいのか。それらこれらの無機質な圧迫感が開放感や達成感を帳消しにしているように思える。
神田川終点の河口にたどり着いたという感慨はない。孤独感もなく、風にさやわかさもなかった。5月なのに。鉄橋の先には隅田川を越えて長く尾を引いたように続く高速道路が、蛇の背のようなうねりを見せて墨田の遠い向こうへと続いている。その先にスカイツリーのトンガリが突き出ていた。人の息遣いが全く感じられない。唯一の救いは総武線鉄橋のペイントは墨田の流れと薄雲の広がる空に溶けて違和感がなかったこと。濃い緑でなくて良かった。
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