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神田川の秘密21 それでも川は流れる 

二十一 それでも川は流れている

 善福寺川、宮下橋が重たい問題を投げかけてくることは初めから分かっていた。同時に、ここが大事な通過点であることも承知していた。気持ちを切り替え、しばらく善福寺川に沿って歩いてみることにした。ここまで来たら先へ進まなければならない。川は流れているのだから。

緑に塗られた宿山橋はむしろ周りから浮いて見えた

緑のどぎつい原色で塗装された宿山橋(しゅくやまはし)までは宮下橋から僅かに5、60メートルだった。殺人事件が起きた昭和49年ごろとは全く違う景色がそこにはある。田や畑や森にとって代わり、住宅が隙間なく続いている。善福寺川の水量は当時と変わらぬ量なのだろうが、遊歩道と川底とは6、7メートルの深さの落差ができていて、石積みとセメントの護岸でガチガチに固められている。川は外界を隔てた異質な風景、異質な世界を形づくっている。遺体を川に捨てようとしても、これでは金網の柵越しに転がして入れるしかない。投げ「捨てる」という実感がなくなり、何か絵にならないような気がする。

 ゴミが流れる汚れた川、それに被さっている草むら。土を突き固めた土手の後背地に竹藪や雑木林があって、さらにその先に田んぼが広がっている・・・殺人事件の景色には、それにふさわしい情景設定が必要だ。宮下橋は昭和54(1979)年8月に架け替えられている。

宮下橋はセメントの端に変わっている
運動場の下は調整池になっている
写真に写っている取水口

 宿山橋の次、大宮橋を越すと、野球場(調節池)のスペースで一旦切れていた和田堀公園の続きが現れてくる。右手は杉並区郷土博物館。博物館の前に壁打ちテニスコートがあって、何人かがテニスに興じていた。このテニスコートも低い地形に作られていて、窪地状になっている。大雨で善福寺川が溢れそうになると一時的な調節池となる。しかし今、善福寺川は何事もなく、静かに流れていて、2尺、2貫目はあろうかと思われる鯉が1匹、悠々と泳いでいた。ここは源流の善福寺池から8、7キロ地点。


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