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神田川の秘密33の1 やいやい、てめえ。この桜吹雪に見覚えねえか?
三十三 やいやい、この桜吹雪が目に入らねえか!
江戸川橋を後にして白鳥橋を越すと、新隆慶橋、隆慶橋と続き、その先は飯田橋、船河原橋となって、JR飯田橋駅前に出る。この区間の主役は神田川ではない。橋でもない。遊歩道は元々ない。我が物顔に幅を利かせているのは高速道路であり、幹線道路だ。神田川よ、それで良いのか?言いたいことはないのか?
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神田川を源水から江戸川橋、白鳥橋、小石川後楽園と下って来て思う。
江戸時代の町並や人々の暮らし、景観が無性に恋しい。江戸時代といえば、武士がいて、町人がいて、身分制度でがんじがらめだったというイメージがある。百姓は年貢に苦しみ、みんな貧乏で、病気になっても医者にもかかれない。日々の重労働に体を痛め、早逝していた。洪水あり、飢饉あり、火事があって庶民が苦しんだ時代。そんな江戸のイメージが川旅老人の頭の中に刷り込まれている。が、老人は疑問が湧いてくる。今の人々は江戸の人々より幸せになのか?と。今が幸せだと自信を持って言い切れるのか?と。
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腰に刀を刺して街を歩く武士、行政の全ての権限を握っていた武士、特権的な地位にあった武士。彼らは武士の家に生まれただけのことで、武士だった。一方、経済的な力をつけてヒタヒタと勃興してくる商人、その相方にはいつものお代官様がいた。
「越前屋、お前も悪よのう」
相方を見下してひと睨みする代官。畳に手をついて上目にお代官様を見上げる商人。頭を下げてはいるがその目には軽蔑の色がある。時代劇定番の光景が頭をよぎる。
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百姓・町人は生まれた時から百姓・町人で、死ぬときも百姓・町人だった。そんなステレオタイプの江戸時代を考えてしまう。映画やテレビで繰り返し見ているからね。悪代官を懲らしめるのは
「この方をどなたと心得る!」
「この印籠が目に入らぬか!」の黄門様か、さもなければ
「ヤイヤイてめえ、この桜吹雪に見覚えはねえか!」
と片袖脱いで啖呵を切るお奉行様。庶民に近いところには銭形平次もいた。老人の頭の中はそれが江戸の形となって固定化されている。闇の世界で活躍するのはご存知必殺仕事人。でなければ、鬼平こと長谷川平蔵あたりになる。
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