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子育ては親育て


こんにちは、ゴトウユリです。
なんだかクセの強いムスメと、いつまで経っても脱衣所の電気を消すことを覚えない夫と生きるギリアラサー主婦の脳内整理場へようこそ!

初回、何から書こうかなあと何も決められずにとりあえずキーボードを叩いています。

なぜかタイトルはすらっと出てきたんで、まあその内容にします。笑

このNOTEを開設した目的とかはまたいずれ。


己の未熟さと向き合う毎日

娘が産まれて2年ともうちょっとで2ヶ月。

人生における大イベント結婚式なんかもその間に挟んだりで、
落ち着かないまま過ごした期間でした。

出自にはあまり恵まれておらず。
いや両親なりに愛してくれたのは充分伝わっているんだけど…
(この辺はまたいつかまとめてみます。)

私たち兄弟は愛されている実感を持つことなく
各自立していったと認識してます。


ざっくり表現するなら…


自分が育ちきっていないという不安を抱いたまま母になった

と自覚しているの。



愛すること、愛されること

安定した家庭の運営って、経験しないととても難しい。

私にはたくさんの先輩、仲間がいる。
色々な幸せの形を見せてもらった。


お金がある幸せ、
お金がなくても感じられる幸せ、
仲間と過ごす幸せ、
独りを満喫する幸せ、
共感できる幸せ、
自分だけの幸せ…本気でキリがない。笑

私は。

我が子に『愛されてる実感』を持って成長してほしい。
何より幸せへの近道は愛される事だと信じています。

自分と同じように苦しんで欲しくない
娘には安定した家庭で育ったと将来感じて欲しい。


そんな思いは必然的に自分の経験を真っ向から否定することになる。

娘のために
自分の苦い経験を糧に良い育ちを創造していく反骨心(娘を愛する思い)と
自分自身の育ちの経験の上書き(過去の自分を愛してあげる作業)と

この両面が己の育児への原動力。


突っ走り

がむしゃらタイプの私。

・私が持つ『安定した家庭』のイメージ
・自分のこれまでの経験
・別の人生を歩んできた夫との対話

などを材料に育児における、
無数の判断場面での選択肢をいかに増やし
その中から『より幸せになれる選択』ができるか。

を日々追求していたわけですが、
娘の長期療養をきっかけに

そこに娘の姿を見てきたのか?
娘に焦点が合っていたのか?
本当は自分がやりたいだけなんじゃないのか?
保育の知識を発揮することで、
努力してきた自分を褒めてあげたいんじゃないか

そう。自分が救われたいだけだったのではないか?

と考えるようになりました。

『子どものためを謳った、自分が実現したかった自分主導の子育て』だと猛省中なのです。



だが子どもは育つ

自分のための子育てに寄って(酔って?)いる事に気付いて。

それが反省へと深まったのは、娘の療育受診が決まってから。


あー。見てきてなかったのかもしれない。って。
とても申し訳なく、そして悔しい思い。
でも、そこに気付いてからはどこか楽になったのも事実でした。

そうか、わからない事は「わからない」と認識して良いのだ
それができない人間は成長できないのだ。
素直に己の未熟さを認めることで肩の力が抜けていくのを感じたのです。


ここまで育ってきたのは紛れもない事実、
そしてこれからも娘のペースできっと育っていく。
その途中でお手伝いして私の子育て、娘の成長を後押ししてくれる。

例えるなら、マラソンの給水所?ちょっと違うだろうか…笑

反省だらけでも、子育てに努力してきたと。
娘は私たちの愛情でここまで大きくなったと。
そして娘自身の育つ力を信じよう、と。

そんな風に思っていいんだよね。だって毎日ぐんぐん成長しているもの。

人間はいつでも成長志向

子育てを通して、『認める』(というよりも認めざるを得ない…)事の大切さを実感できている。

未熟な己を受け止めてあげられた。
本当に成長させてもらっている。

娘、ありがとう

34歳にしてまた学べた。
成長の日々。
子育ては親育て。


少し苦しい気持ちになっていたけど、脳内整理終了!
読んでくれてありがとうございます。

本当はも少しライトにやりたいんだけど、脳内整理ってなるとこうなるな…まあまた色々書いていきますね。


いつでもらびゅー!
ゴトウユリの脳内整理場に遊びに来てくれてありがとっす!


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