うつくしき町、札幌北24条
4泊5日で札幌に帰った。
帰ったと言ってもぼくが生まれ育ったのは奈良だし大学は神戸だし、札幌に住んでいたのは社会人生活の最初、たった2年間だ。
しかし、ぼくは札幌、とりわけ北区北24条を心のふるさとで地元と呼んでいる。
北24条(にーよんと呼ばれている)は札幌駅から地下鉄で10分くらいのところにある。
昔はリトルすすきのと呼ばれるくらい栄えていて、飲み屋に風俗にと、かなりの繁華街だったようだ。
最近は時代の流れもあり風俗は無くなったようだが(ぼくが知る限りメンズエステは存在する。デカい通りにあるマンションの一室で営業している。ぼちぼちの店だった)、何本かの通りには今でもズラっとバーやらスナックやらが並んでいて、入れ替わりも激しく栄えている。
最近ではにーよんを舞台にした「スナックバス江」という漫画がアニメ化されたり、地元民に愛されるローカルタウンだ。
そんなにーよんの奥の方に、「ジジ」と呼ばれるおじいちゃんが営む焼き鳥がある。
L字型のカウンターに10人も入ればいっぱいになる、こぢんまりした店だ。ポスター裏の手書きのメニューは黄ばんでいて、端っこは千切れている。ぼくが産まれるずっと前からのヤニやら油やらが目につく壁全部に染みついているが、焼き台だけは美しく保たれている。
ジジは今年で84歳になる。歩くときは杖をつくし、ペースメーカーも埋め込んでいるサイボーグおじいちゃんだが、営業後は朝っぱらまで飲み歩く元気の化身みたいな人で、近所のバーでテキーラをガバガバ飲んでいると常々聞いていた。たぶん、本当にサイボーグなんだと思う。
初めてそこに飲みに行ったのは転職で引っ越す2ヶ月前だった。
その日、ジジからふと声をかけられた。
「あの人、お会計せずにでていったろ?」
「もう事前に払ってるもんと思ってました」
「病気で働けなくなって、お金持ってないんだけど、どうしてもお酒飲みたいんだろうね。気持ちはすごくわかるから、会計取らないんだ。代わりに1番安い酒しか出さないけどね」
とニヤニヤ言って、ジジは手元にあったグラスでウィスキーを煽っていた。ぼくのグラスは空だったので焼酎を頼んだら、ボトルの焼酎が出てきて強制ボトルキープになってしまった。
さすがに飲み切ることはできず、転職で引っ越すからボトルは他のお客さんに出してくれと伝えた。ジジは「ハマサキくんのことは絶対に覚えているからね、メモしとくよ」と言っていた。
雪の中、絶対覚えてないだろうけれど必ず来ようと思って、もさもさと帰った。
で、宣言通り店に行った。
先に店で飲んでいた友人がえらく盛り上がっている。
「すごいよ、ジジ、ちゃんと覚えててくれた!」
ちょっと疑って聞いてみると、その日のことやぼくのプロフィールを、ほんとに覚えてるよと話してくれた。歳だけどボケてないことを必死に伝えたいのか、何度も「ほんとだよ」と言っていた。
相変わらずジジは化け物じみて元気だったが、さすがに身体も悪くしているようで、お手伝いさんが1人いた。バイト代はもらわず、文字通りお手伝いさん。「この店もジジも好きだから。お金はもらわないけど、ご飯は勝手にもらってるしね」とケタケタ笑っていた。
あの日のボトルは数ヶ月前までぼくの名前を書いて置いてくれていたようだが飲んでしまったらしい。たぶん、これもほんとのことなんだろう。
しこたま飲んでいると、もう閉めるから、店前のスナックに飲みに行こうとジジから誘われた。もちろん断るわけもなく、友人とご相伴に預かることにした。
こうやって店と客、客と客がつながっていく。
若者は少ないけれど、すすきのよりもあたたかく人間くさい。
あの店に行けば大体あの人がいる。毎回盛り上がるけれど、実のところ本名も連絡先も知らない。
密だけれど付かず離れず。でも困ったときは助け合い。ハリネズミのジレンマなんて考えることすらなく、自然にちょうどいい距離で人がふれあっている。
締め作業を終えたジジと店を出たら、「ふたりとも、スナックは奢るよ。札幌記念で勝ったんだ、ほんとだよ」と言われた。
ほんとに勝ったのかなぁと、ちょっと申し訳なく思いつつ、案外がっしりしたジジに肩を貸して階段を登る。
扉を開けると、これまたおじいちゃんおばあちゃんが6人くらいいて、しこたま酒を飲んでいた。
友人は裕次郎を歌い、ぼくは百恵ちゃんを歌う。
にーよんの夜は明るくて長い。