現実主義の限界とか(小説など)
現実を見るのに疲れたら、小説に向かう。
新書やドキュメントもよいが、事実が体を押し潰して来る感じがあり、きつい。
だいたい、現実には問題は山積みなことが多いし、逆にポジティブシンキングにしなさい、と迫られるのも疲れる。
だから、何もしないことが1番なのだ。
だけど何か物足りないときは、現実逃避をする。
いや、ひきこもりとか、世捨て人ではなく、脳という受容器…感じ方を別の世界に移す。
小説はよく、多層空間と言われるが内容にもよる。
事件ものとか推理ものとかは、かえって疲れるし、現実のマテリアルから創作しており、現実と平行線上に存在している。
純文学…特に、不気味に読める文章の場合、とりあえずは、現実を脱出したと見てよい。
多層空間から見える現実だ。
現実とは、考え方によっては…見方によっては、かなり不気味で、変なことをしているように見える。