雑記かっ
雑記(目的を失うなど)
ホタテが輸出できない騒ぎがあった。
核下水とかの表現、「#食べるぜニッポン」は別にして、これほどまでに海産物が輸出に頼っていて、ひとつダメになれば、大変なことになる…そのことに唖然としている。
解決策として給食で配るとか、食べて応援するとか、正当だけど、なんだかみみっちい。
大変なのは分かるけど、ことの発端はトリチウムによる核下水なのだ。
なぜ、水俣が騒ぎだしたとか、過去の公害を持ち出し、騒ぐのか?といえば、表向き、やってることが信用ならないからだ。
最近、ALPSに通す前の水に、別の汚染がある…云々の話も出てきている。
やることが信用できない。
南相馬に行き、安全かどうか分からないものを食すのは「勢いだけ」としか言いようがない。
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某脳科学者の意見も燃えている。
センスがあればジャニーズなど見ないとうの話である。
どう見ても、この言葉は論点のすり替えにしか見えないし、ジャニーズをどう言おうが多様な意見がある…云々というのは、結果や結論を無にする、やり方である。
これは、性被害に遭ったものを孤立させ、事件を宙に浮かせる。
やってはいけないやり方だろう。
多様な意見があっていいというのは良さげで危ない。
一線敷いた考えができなくなり、仕切りも示しもつかなくなるからだ。
この世には不条理が残念ながらある。
あるのだけど、不条理(あるいは問題)に対して、何らかの解答を出さなければならない。
解くのが問題であるのだから、それを不条理や未解決にしていいものではない。
もちろん、時間がかかる問題は暫く保留にする必要もあるが、曖昧にした結果、事件が暗礁に乗り上げることもあるだろう。
そうしてはいけないこともある。
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