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思い出したくない(禊と不安)


先の文章で人間は思った以上弱い…云々と書いてみた。

地下鉄サリンについては、あらゆる識者や記者、作家が色々書いたが、どうも書くことはともかく、読ませることが禊のような気がする。

いや、読むことの禊だ。

「あって欲しくない」と「あってはならない」と、現実的な禁止や抑制が働くならいいが、頭の中から消し去りたいというのが、本当のところではないか。

ポジティブシンキングにすると、あの教訓から何を学ぶとか、いけない部分を排除して良い面を取り入れましょうとか、人工知能みたいになるに違いない。

世の中で、忘れ去られる事件には、似たような都合のいい悪ぃギリギリを踏んでいる、というのがあるのではないか。

心理学でいうシャドウに近い。

都合が悪いから自分のなかから消し去りたい。
だけど、たまたま誰かが、その都合の悪いことをしていれば、否定し、ときに激しく叩くことがある。

または、絶対いけない!など叫ぶとき、見えない何か、自分の濃い影を否定している場合もあるだろう。

阪神大震災をやって、地下鉄サリンをやって…と、うまく予言した人物がいた。

次は東京だぞ!と。

人災は究極に言えば災害だろうか?

猿より上のものがやるのだから自然にも見える。
しかし、理性や大脳新皮質があるのだから、賢い判断はできるはずだ。

違いは、人間界に都合の悪いことを持ち込まないという、性質もある。
動物のように垂れ流しではない。

それにしても、パターンというか、世の中の傾向が分かってくれば、似たようなことは、これからもあるに違いない。

否定したくても、人間の営む文化は昔に比べそうそう変わっていない。

大正時代を描いた児童書を読んだ。

小僧が、見習いや、工員、給仕などをやるが、上手くいかない物語だ。

そんな中で人間関係の妙や組織の流れは、いまと変わらないと感じる部分が多かった。

村上春樹流に言うなら、我々はどこかを目指しながら、どこにも行けないのだ、となるのか。

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