世の中のことを知らないといけない
学校が世の中の縮図なら、世の中というのは、こんなものだ、という検討をつけ、どうしようか?とやらなくてはならない。
世の中に不慣れとか、人生をマイナスからスタートしたとか、学校すら行けなかったとか、結構ネガティブな要因である。
いや、要は世の中について知っていればいいのだ。
いまの私だって知ってるかどうか疑わしい。
しかし、どんな鬼のような人間だろうと、どんな博愛的な人間だろうと、この世界について、きちんとした考えを持ち、きちんとした見方をしているなら、年の差など関係なく、参考にした方がよい。
自分なりの世の中の見方を持つのはよいが、ときに歪んだ見方をしたり、変に味付けされて解釈していることもある。
世の中に対して、自分を持つのは結構だが、それがどうしようもなく使えない代物なら、考えたほうがよい。
たとえば、なぜ上手くいかなくなったのか?などは、自分と世の中との歯車が合ってないからだ。
どこで、どう噛み合わせるか?は、現実をきちんと見て、それに合わせる必要がある。
しかし、自分の持つ見方が百歩譲って歪んでいないにしても、歪んだものが大手を振るうこともある。
そんなときは、折り合いをつけるしかない。
世の中を知り、学校からある程度スムーズに移行したものにとっては、世の中の見方が蓄積されるように、知識として蓄えられていく。
たぶん、エリートなどは、その比が普通を超えているだろう。
だから、彼等の見方を参考にするのも一つの手だ。
世の中の仕組みが分かる人間にとって、それが当たり前ゆえに、できて当たり前というのもある。
土台や立場、出自が違うのだから、それが無い者と違いが大いにあるのだが、現代では、そこが深く考えられていない傾向を感じる。