素人の考える教育(稚拙)


考えてみれば神経発達など、個々に凹凸があって当たり前だ。

ときどき、見かける識者や専門家いう気の利いた言葉に、早期教育や、出来る子は小学低学年でも、学問は理解できる、などいうが、それだって残酷な言葉に聞こえる。

子の教育の期間は、労働義務から守りだったりモラトリアム、世のなかへの慣らしの期間と「とりあえず」定めてある、という方がもっともらしく聞こえる。

いくら、子に労働を課してはならない…云々な、法律があったとしても、二重の意味で義務教育を設けておくのは、わかる気もする。

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専門家の言説が残酷と書いた。

というのも、彼らはできる子にスポットを当てているから、そこから外れた者は自動的に惨めになる仕組みがある。

本来はもっと、成長はゆっくりなはずである。
身体じたいが自然物ならば、早熟な子の方が珍しいという方が正しい。

私などは劣等生だった。

大人になることじたいが、どこかよその世界やよその星のように、当時は感じていた。

しかし、(とりあえず)大人になってみると、自分の出来なさ加減の方がよく目立ち、いびつでも世の中には、いずれ出ないといけないのを知った。

これが、途上国や余裕のない場合には、成長は急がれるはずだ。

ある意味、文化というのは誰にでもクッションの役割をしているように思う。

そのクッションを無くして、儲けの世界にしようというのだから、人間の成長や成熟内容が冷たくなる、シリアスになるのは当たり前である。

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