小説家の予言、ほか(悪い予感)
村上春樹などは「ここはとても暴力的な世界です…云々」と語らせる。
何についての暴力か?は描かないが、小説ゆえに誰か見たとき、自分独自の脅威や暴力が想起されるように、作品を描いている。
普遍的な暴力は、枝分かれして、個人に辿り着く時には、その者に合わせた脅威や暴力になっていることを、示唆している。
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しかし、私の書くものも昏い。
景気良いことの、ひとつやふたつ、書けばいいのだが、危険な匂いがしたり、危険が察知されそうな話題に引き寄せられるから、こうなる。
村上春樹はまた、良い予感より、悪い予感は信用できる…云々とか、作品にもエッセイにも書いているが、これも分かる気がする。
危機管理は生き物の本能である。
人間は動物と違うが、文化という世界を手に入れたからと言って、危険が無くならないことが、戦争や最近の事件が示している。
根には、本能的な暴力性や攻撃性だけは、ちゃんともっているし、克服というより、今の今まで利用して来ただけなのかもしれない。
かなり、都合よく。
だが、危険な香りがしないというのも、何だか病的である。
頂き女子に何千万取られたというが、あれは形を変えた暴力性というか……誘惑にしても、甘い誘いにしても絡め取る暴力でもある。
暴力は形を変えるのだ。
従って、何かが理由あっての暴力は、容認されるべきだ…云々な話をすれば、暴力…根源的な(または普遍的な)暴力の侵入を許すことになる。
また、目に見える暴力なら分かりやすいが、知能犯、詐欺などは、分かりにくく、1枚も、2枚も噛んでいるから、タチが悪い。