自由と無法は紙一重、その他


自分の稼ぎなら、何をしてもいいというのは、間違いではない。

最近はCOVIDの解除により、土日の雰囲気はより自由になったように感じる。

海外からの情報がなかなか入らないため分からないが、外国人がやってくるのは、この国の自由さに惹かれてくる、というの話がある。

自由を求めては、アメリカのアイコンだった気がするが、どうもそうではないらしい。

ルールとして自由をしばるというのは、それが好ましくないどころか、悪影響を起こす場合だ。

難しいのは、法規制にすると関係ない場合・人間でも、それに引っ掛かることがある。

度を超えた自由が法規制されるというのは、やり過ぎが増えたからであろう。

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内田さんなどは、この国には「大人が3/10人くらい居ればいい」などいう。

要領よく、猿知恵のように世の中を渡るとき、その本人が他所に気を配らないことに問題があるらしい。

要領よくカネを稼ぎ、上手く生きられるという正論は何かおかしい。

バブルのときも「おカネなど拾うようなものだ」というのがあったというが、そのやっていることの是非を問わない姿勢というのは、その現象を総体的に見てもおかしい。

おかしなこと、とは結局は感覚的なものだ。

それを文学なり本などで表現されたもので分かってきたり、より理解できたりする。

「そういうことはやらない方がいい」となる。

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しかし、一見自由そうに見えても、おかしなことはある。

推し活とか、パパ活とか、さも良さそうに語られて、両者ウィンウィンで完結しそうだが、あとで後悔したり、落ち込んだりする…そんな予感があれば、やめた方がいいのだ。

そうでなくても、いまは何がいけないのか?悪なのか?が見えにくい。

企業の不祥事などは、表面上は悪として浮上する。

しかし、多かれ少なかれ、大なり小なり、それはどこにでも潜んでいそうな事柄である。

あたかも、ウイルスのように何かに取り付き、あとから悪影響や不快極まりないことになったり、大問題になるようなことが、実は問題ではないか。

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何がいけないのか?問題なのか?が分かりやすい時は良い。

ハラスメントでいえば、ないに越したことが無いのだが、実は企業の方がハラスメントが起きたこと自体を無い方に対策を取ったり、被害者の声、訴えの方に対策をとる傾向が今はある。

名古屋の市教が問題あって、被害者の方を無視するニュースがあった。

教育とて、彼らの食い扶持である。

問題を問題ではなく、自分らのリスクにしか考えないなら、その内容を潰しやすい方に傾くのが当たり前ではないか。

加害者、被害者、どちらを優先した方がコスパがいいか?という考えと同じである。

そこから、導き出されたこと、厄介なことは敬遠したり、無いものにした方が身のためと判断したのが、今回の結果だろう。

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くどいようだが、私は「同調圧力」やムラ社会説に眉唾なのは、この国が機能主義(実用主義)≒コスパで選ぶ、というシンプルな考えの方がしっくりくるからだ。

無論、ムラ社会を拡大解釈すれば、コスパのために何かを犠牲にする体質だったり、誰かを犠牲にし無視する体質かもしれない。

時たま、首相のいうコスパがいい方を取るような言葉を聞くと、セコさよりも、如何に無駄を省き身内が良くなるか?のように聞こえる。

身銭を切るというのも、上から下まで死語になったように感じる。

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