生きる考察など(仮題)
世の中で表に出てくる有名人など、生き辛さを抱えていたというが、内容をよくよく見ると、結構、できていた部分がある。
極度に人嫌いという者は、生徒会長や役員候補だったり、謙遜の域を超えたことをしている。
運動部の部長だったのが、進学したり、就職したあと、うつ病になったりと、過去の良さが見え隠れする。
これは、よく言われる同じレベルの子が集まれば、そこでまた競争により選抜される、という話だろうか?
たぶん、見方の1種だろうと思う。
うつ病にならなくても、挫折のダメージを受けなくても、自分の相応しいレベルに落ちついていくのだ。
しかし、ベースは優秀であるに違いない。
多少の見当はずれな言い方を彼らがしていても、場というか周りを引っ張る力はあるのだろう。
たとえ、人嫌いとか、人生の中で奇妙な精神疾患にかかっても、ある種のカリスマ性というのは、ある気がする。
場を引っ張るというのもまた、生命力かもしれない。
場を引くような頭と、周りを納得いかせる力は、ときに何もせずとも周りが従っていく。
たとえば、病跡学を持ち出す前に村上春樹を読んだ方がよい。
海カフの中田さんなどは、頭(能力)が約束された将来のエリートコースだったが、奇特な運命で曲げられた。
その他、羊をめぐる冒険などもそうだが、星のある羊(ラッキー動物)が裏で争奪される描写は、人間の運や能力について、何なのか?が描写されている。