教育番組がおかしく感じるとき
最近、思うのだが戦争ドキュメントなどは、果たして意味があるのか?見る側に伝わっているのか?と。
私の偏見だが、最近の戦争ドキュメントは、何だか質が落ちたようにも感じる。
同じことの繰り返しは、もちろん、その内容から関連したり、連想した放送も表層的で奥行きがない。
たとえて言うなら、放映する国で内容が消費され、結論もサッパリと完結するみたいな感じだ。
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また、多少マニアックな話になり、それが果たして一般向けになるのか?とも思う。
いまは戦争の話は知る者が内容を分かりやすく、知らない者に伝える時代になった。
もっと粗くいえば、そこまで積極的に見たり、聞いたりすることに需要というか必要性がないのか、とも言える。
従って内容がマニア向けになり、とりあえずの現状から将来にかけて、浅い内容から、こうなりますよ、と伝えて〆る。
学問の本来は自発性とも言えるだろう。
まえに、一般的にはスマホの日常は当たり前だが、自ら本を読み知識を得るのは少ない…云々と書いた。
本が不必要なら学問は試験のためだ。
また、知識や知恵を知らなくても、いくらでも仕事とマンガやゲーム、SNSで渡っていけるし、別に必要ないという意見もあるかもしれないし、できなくはない。
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ところで、特に思うのは戦争(知識でも)の番組を見ることのハンデを背負う部分があるかもしれない。
知るよりは知らない方が罪は浅いとまでは言わないが、戦争や知識に対しての無知というのは、どこか免罪符を思わせる。
知らないでいることが、コスパがいいならば、知らない方が得だとも言える。
まぁ、知ったとしても黙っておけばいいのだが。
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何より、この手の番組が、ある種の禊(みそぎ)テレビのように感じるのは、観ただけで余所事にできる部分がある。
あるいは、対岸の火事みたいな扱いにおいて、身近な…手の届く部分では起きないという、安心感を作る。
もし…番組の真意が人間の攻撃本能の抑止力ならば、観るものが損をするというか、現実で無鉄砲な生き方が上手い人間の方が得するかもしれない。
抑止力を与えれたことで、姿勢が及び腰となり、引き気味な生活をするようになり、その分、相手から入られる事もあろう。
逆にいえば、無知というのは何でもしでかす特権を知らずのうちに持った者とも言える。
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