金ハ先生や夜廻先生は何だったのか
要は父親的な存在を蹴飛ばした結果が今日である、と思っている。
もちろん、カミナリ親父の復活を求めている訳では無いが。
古めの心理学でいえば、個人のうちにある父性、母性、老人、子供の、健全な機能とでも言おうか。
個人が健全ならば、金ハ先生や夜廻先生など要らないのだ。
著名人まで、父性を壊しにかかった時代が最近まであった。
父性とは不要であるとまでいった。
しかし、肝心なのは程度である。
父性を壊し、あるいは殺しておいて、身のうちに復活させるのが、本来の仕事である。
外的にみれば社会的な自立であろう。
これを、会社や組織という集団で良い子をするだけという、役割期待を担ったため、父性というのを考えずに来たようにみえる。
父性は、ある種の切断であるし反抗でもある。
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