正論より相応しいことを
正論は良いからする、みたいな雰囲気はギスギスする。
切羽詰まっている場合ではないのだから、そんなに白黒正邪つけることないと、思うのだが何かで発散したいのだろう。
河合隼雄は、むかし日本人は放っておかない性質とか、お節介だとか言っていたが、そのやり方も、どうも変質していると、最近私は思う。
コロナ自警団ではないが、正しさに便乗して分かりやすい悪とか、誤ちに対して叩きに行ったりするのは、明らかにやり過ぎである。
そんなのを見ると、70年前の戦中もそうだったのかもしれない、など思ってしまう。
私はテレビは観ないが、世の中は相変わらず、芸人やドラマなどを手本にして、自分を出しているらしい。
若い子などの、やり方や雰囲気など見ると、自分ではなく、誰かを真似したり、作られたものと、見て分かる。
不良が活性していた時代では、剣呑な雰囲気が当たり前だったが、いまでは明るく悪いことや、いかがわしいことをするようだ。
それに追いつけない大人などは、見た目が爽やかだから、公の場で多少はしゃいでいても、彼らを優先する事があるのだから、しめしがつかない。