戦争体験記なるものを読む
中古¥100で、戦中の庶民の姿が載った証言集を読んだ。
どこかの新聞に載ったもので、分かりやすく、難解でなく、読み手の程度も視野に入れてた作品だ。
近現代史などは、教科書などを齧れば、公…外交が表立って何したか?がわかる。
(※)私は中高を逃げながらやってたから、実は教科書は読み直す必要がある。
国や海外の情勢が歴史軸に沿って書かれているのを読めば、何となく国や世界が何してきたか?がわかる。
しかし、庶民の暮らしなどわからない。
人間の基本的な生活は似たり寄ったりなのだが、各々の感受性というか、最後までお国のため…云々とか、玉音放送を聞いて天地が返ったように思い…云々とか、違うようだ。
森さんは国民感情が政治に反映されるというが、誘導的な流れはやはり国や企業、団体の方が強いと、私は思う。
いまは、社会参加が会社しかなく、ある意味は現代版の戦争である。
外に出て働かなければ、生きていけない仕組みになってしまっているし、社畜だの働いたら負けだの、言われ、社会参加すら悪く言われる捻れた時代だ。
体験記を読んで最も不快で、醜いと感じたのは、教科書の黒塗りや、戦中は戦争肯定を叫び、戦後は平和主義(民主主義)に走る者の存在についての内容だった。
黒塗りは有名だからここでは書かない。
終戦後に共産を説いたら教職を左遷させられたと、聞いたことがある。
しかし、体験記には今まで殺戮を当たり前にしていたのが、手のひらを返したように、殺すのはよくない、など言って回る…高等職能者がいたという。
次の流れの萌芽にも見える。
ネタというか、流行というか、それらが大事で、いのちより真剣に捉えいたものが、少なからずいたに違いない。
これは真面目とは全く違うものだ。
真面目だから突っ走るのではなく、次の流行りの生き方を見つけ選んでいく生き方で、このようなやり方は今も通じるものが大いにある。
たぶん、平和主義など戦中に唱えることは、米粒ほどに思っていなかったのかもしれない。
戦争はよくないのだけど、それが生きやすいなら、容易に生き方の変更をしてしまう…そやり方の危険性を読んでいて感じた。
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