確かに救う者が消えた
最近、妙に思う。
心理学からビジネス、救いへの変遷が消えたように感じる。
一時期、売れていたメンタル医などは、いつの間にか消えて、ネットの有料記事のなかに潜んでしまっている、ように見える。
また、先も書いたが生きにくさを発達障害で説明し、知能がものを言う流れが、増えてきた。
知能指数により、生きにくさ、生きやすさを決めてしまうのは、早計だが、患者でなく、病(?)ばかり診ている感じがある。
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むかし、関西でいきすぎた躾で死んだ子が事件になった。
要は、親の生きにくさを子になぞって欲しくないゆえ、それが起きた。
親の無知は罪か?
親が後で気付いた世の中の仕組みは、ある種の残酷さを与える。
親が無知なら、無知のまま子に伝える。
だけど、あとから気づき、急いで自分も生き方を直しながら、世の中の辛さを舐めないように、子を厳しくする。
二重、三重の不幸がある。
周りは、幾らでも親の落ち度を攻めることができるが、親の無知…世の中を知らなかったというのも、親の責任に還元するのは厳しすぎるように思う。
また、親がマトモじゃなくても、子はきちんと育つというのも、やり過ぎな楽観視だろう。
子がマトモになったパターンばかり見ると、子がまともにならないはずない、と言ってみたり、親の放任なりネグレクトは、問題ないなど変に繋がってゆく。
その都度、その都度、見てられないから、変化についてはだれも見られない。
人間の生き方には、努力や運以外に何かがある。