雑記(女性目線と物事の塩梅など)
女性目線が進んでいるという北欧のドキュメントを観た。
生活様式、住環境が男性向けというのは、女性に不備と不足があるという。
北欧は、本質的に生活で物事を計っているからだと思う。
カネ(経済)で計れば何が安くなったとか、何をコストダウンできるとかがメインになっていく。
これで国が「豊か」になった試しがある話は聞いたことがなく、結果的に出来た代物が何だか不便だったり、ケチくさい造りなものになる。
むかしの職人が何世代も使えるのを目指してモノを造るやり方とも、また違うのだ。
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また、コストカットや利権で計るやり方を取れば、必ず派閥はできるし、アイディアや良い事の共有などできるはずはない。
一見、街にあるモニュメントを観れば、似合っているのだが、チグハグに感じるのは、そのせいかもしれない。
要は利権や派閥を考えたら考え方もケチ臭くなるのだ。
ドキュメントでは、男性目線…云々とあるが、むしろ誰にでも入っていけるモノを目指さないと、より貧しくなるように感じた。
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内田さんは「原理でなく程度の問題でる」と言った。
白黒でものを決めるやり方は意外と多い。
中をとって云々…と、やる上手さは落語にしか見られない文化財と化したのだろう。
サイコドク夕ーには、白黒で決めるのは官僚的でエリート思考が強い、といっていたが、管理的で決定的な世になり、それが当たり前となれば、誰しもそのやり方に関係することになる。
巷のシステムの硬直に不自由を感じるのがそれであろう(貧乏とは別にして)。
原理というと堅苦しいが早い話、決めつけや、純粋に良いことを目指すことである。
まえに武田鉄矢氏が言っていたのは、純粋に良いことをいう人間は、病的な顔をしているというのは、あながし嘘では無い。
「我を通す」という言葉がピッタリで、あたかも、他人やその意見は悪いのはあってはならない、という考えなのだろう。
程度の問題だが、良いことずくめも他人を受け入れるスペースが無くなる。
少し連想すれば、原理などは海外を見れば中東の戦争にそれが見られるし、極端な考えの走り方は、直接的な暴力にも結びつく。