言葉の多さは煙幕?(その他)
ときどき、言葉…話の多さに疲れることがある。
中医学では、人間同士の相互作用が、気を与えたり、もらったり、という循環があるらしい。
気の循環ゆえ、少ない場合は貰ったり、多ければ、渡したりという考え方なのかもしれない。
宴会は昔からあり、それが衰える文化の傾向は無い。
最近の子は、上司の宴会にも付き合いたいと言うのだから、時代も変わってきた。
ひとむかしまえは、宴会よりひとりで時間を潰していた方がいいというのが、あったが…また変わって来るのかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~
言葉の多さが問題と前から言われていた…と、どこかで聞いた。
要は、言葉が多すぎて何を決めたり、大事なことか分かったり…と、難しくなるのだろう。
大事そうな言葉というのは、気になるものだ。
しかも、1度その言葉に関われば、(時に厄介な)付き合いができる可能性もある。
機械ならまだしも、人間のことだ。
事務的なやり取りや数字だけ扱っていれば、良いというものでもない。
~~~~~~~~~~~~
言葉というのは、特に取り扱いが難しいこともある。
真意を読み解くかなければ損をしたり、攻撃的な言葉だったりするから、向こうも気をつけてるだろうが、コチラも気をつけなければならない。
まくし立てて話す凄い人物というのは、全身が口であるかのように話しまくる。
ひとむかしまえに、専門家や著名人が対話の大事さを言っていたが、いまは損をしない為の喋り方が多い気がする。
ある意味当たり前に見えるが、流行りなのか分からない。
損をしない、得をする話に人間が、かぶりつくのは、それに引っ掛かると分かっているからだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?