おバカな事は考えないより良い
人間は偏見で生きていると、誰かが言った。
村上春樹ではないが、読書も偏見で読んでしまうものらしい。
偏見がいけないから、常識や中庸が必要となる。
インプット…読書などはまだいいが、アウトプットととなる表現の部分が難アリなら、角が立つ。
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私だっておかしなことを書くし、もっと脳をグジャグジャと探れば、おかしなことが出てくるかもしれない。
偏見というか、考え方の癖かもしれないが、世の中にある党派を、どうしても選んでしまうみたいな、ものかもしれない。
単純に例えれば、文化向きの身体なのに肉体労働をさせるのは、身体に合っていないし、逆に筋肉だらけなのに、机でアレコレ考えるのは、バランスが悪い。
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しかし、変更の余地、何かが入り込む隙間くらいは、作って置いた方が良い。
そうでなければ、意固地になり、偏屈に見える。
考えを変えないならまだしも、バランスの悪い考えに固執するのは、やはりおかしいし、まずい。
私はユーモラスは、どこか持ってないと、キツキツになると感じている。
思考にゆとりを作るのだ。
酷いバカを言うのもアレだが、柔軟に欠けたことを、決めつけ論で話すのは、人間関係や思考を腐らせる。
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著名人・専門家や優れた若い子みたいに、頭が良く、キレのいい話は私にはできない。
ノッソリと、おかしな話を可能性に留めながら、時折、奇妙な味付けをしたり、間違いながら、ピンぼけした視野を治して現実を見ていく。
怖い意見を聞いた。
トリチウムなどの核下水について、著名人なり専門家が国の話を疑わない話してしまうのだという。
なぜか?
コスパがいいのか?
国や有力者からの踏み絵なのか?
水銀や薬害エイズの話も昔あった。
アザラシ症もあれば、カドミウムや四日市もあった。
問題なのは、あの時代を通過して苦しんだ人間を見た者らが、国を疑わないことにある。
トリチウムについては、邦人ですら判断材料が少なく与えられているところだろう。
少ない材料や、視野の狭い考えをしていれば、考え方も極端になる。
あまりにも良いと言われる情報を鵜呑みにして、追随する姿は、50年前の公害…上しか見ていない時代に似ている。