環境医学?(生物医学?)❷
極端な例を除けば、神経発達なども個人差があるのが当たり前である。
いま流行りの発達障害で、人間を分けるというのが忌々しく感じる。
成人後も発達は少なからず続き、その発達程度、バロメーター、濃度は人それぞれだからだ。
極端な話だが学問も、小学初等で全ての学問をクリアするのもあれば、だいたい理解できるという子もいなくはないが、全員に当てはめるわけにいかない。
坂口さんなどは、教育などは子供らを労働から守る…モラトリアムの期間を作り、成長に役立たせる側面があるという。
それもあるが、私は個々の歪な(?)成長をある程度見守りながら、育てる期間であろうと、推測している。
義務教育の大事さを言う前に、平均的に学問の期間を与えることで、知識や知恵、器用さを身につける期間を設けている側面でもある。
よく頭の柔らかいうちに覚え…云々いうのは、よく言うもので歳をとってから覚えようにも、短期記憶がいうことを聞かず、長期記憶に結びつきにくい。
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知的環境が豊かなら、創造力が巧みになるのは、考えてみれば当たり前な話である。
知識や知恵、技術が豊かなら、その要領や完成系に至る道順が分かっているわけだし、それを知らない者とは、わけか違う。
おそらく、大人にも(ある程度)それはいえよう。
マイクロマネジメントが、ハラスメントじみて騒がれているが、過干渉がいけないのは、激しい受け身を作るからだ。
自発性なくして、仕事や効率、ものごとの発明など上手く行くはずがない。
過干渉ゆえに、極端をいえば仕事やルーチンのコピーであり、リーダーの手足でしかない。
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同調圧力がいけないと言われた。
その後に出てきたのが管理社会である。
同調圧力がいけないなら、それすらも管理してやろうという、魂胆か?
同調圧力とマイクロマネジメントは響きが似ている。
生体はタンパクや骨、ミネラル、水など、みな組成は同じである。
持って生まれた身体の微細な違いもあるが、あとは個々の身体の使い方になる。
ただし、ここですっぽ抜けているのは、環境の変化による生理の変化である。
それにより、あるものは平気だが、あるものは具合が悪くなる。
個人のそんな細かい生理までいちいち、目を向けられないから、自己責任だの、体調管理だけが個人のせいにされる。
それがいきすぎたのが今日である。
自然というのは、脳がなんとかコントロールしたいと思っても、仕方ないことで溢れている。
仕方ないのは自然でもある身体も同じことだ。
無理矢理、原因と結果を強迫症のようにつけようとするから、具合の悪くなった個人がいけないと帰結される。
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